印象派とは?時代を築いた有名な画家の作品や歴史を徹底解説!
投稿日:(火)
目次
印象派の時代を築いた画家たち
こんにちは。
WASABI運営事務局のジョージです。
日本国内で圧倒的な人気を誇る「印象派」
美術館で企画展が行われれば、休日のチケットが完売するなんてことも珍しくはありません。
そんな日本人が大好きな印象派ですが、「印象派」の由来が悪口だったことはご存知でしょうか?
今でこそ、幻想的でやわらかな雰囲気のスタイルは、世界中で受け入れられていますが、発表当初はズダボロに叩かれていました。
そこで今回は、印象派として時代を築いた画家たちと作品をご紹介しながら、印象派の成り立ちや歴史に迫ります。
また、印象派の作品を観れる日本の美術館もご紹介するので、ぜひこ参考ください!
印象派とは
クロード・モネ《印象、日の出》1873年
印象派は、19世紀フランスの美術界で台頭した一派で、芸術アカデミーの伝統的な教育方法に疑問を持った画家たちが中心となりました。
彼らは1874年に独自の展覧会を開催し、その中でクロード・モネの「印象・日の出」という作品が展示されました。この作品は、当初批評家から「スケッチのようだ」と酷評されたものの、一般の民衆からは好意的に受け入れられました。
特に、この作品が風刺新聞「ル・シャリヴァリ」でルイ・ルロワによって批判されたことをきっかけに、「印象派」という名前が生まれたと言われています。
印象派の父|エドゥアール・マネ
エドゥアール・マネ《フォリー・ベルジェールのバー》1882年
写実主義から印象派への移行を導き、近代美術の創始者として知られる「エドゥアール・マネ」。
印象派特有の、明るい色彩と立体感・遠近感を感じさせない平面的な作品を描く一方で、印象派ではほとんど使われない黒を取り入れてることが多いのが特徴です。
マネが拓いた新時代
エドゥアール・マネ《草上の昼食》1863年
1832年、パリの中心部で高級官僚の息子として生まれたマネは、名門学校で美術を学び、サロンでの成功を夢見ていました。
「サロン」とは一人前の画家になるための展示会。いわば「唯一の登竜門」みたいなものです。
しかし、1863年に当時のキリスト教でタブーとされていた「一般人の裸婦」を描いた問題作《草上の昼食》を出品したことにより、成功どころか大バッシングを浴びてしまいます。
こうして、当時の美術界の「反逆者」になってしまったマネ。
しかし、この行動が古典的な絵画ばかりを好むサロンに不満を持っていた若い画家を、勇気づけることになります。
そして、新たな時代を求めてマネのもとに集った若者たちは、後に「印象派」と評され、美術の一時代を築きます。
次は、そんな若い画家の1人にして、印象派の名づけ親「クロード・モネ」をご紹介します。
印象派の名づけ親|クロード・モネ
クロード・モネ《睡蓮》1906年
フランスの印象派を代表する画家「クロード・モネ」。
光や季節の変化による自然の表情の変化を、明るく軽やかな色彩で描くのが特徴です。200枚以上の浮世絵を収集するほど日本美術に傾倒しており、「睡蓮」シリーズはその影響を大きく受けています。
ノルマンディーの港町で少年期を過ごしたマネは、スケッチの中で、自身の核となる「外の空気を吸い、光を感じながらその瞬間を描く絵画」というスタイルを見出し、パリで本格的に絵画を学びます。
悪口から始まった「印象派」
クロード・モネ《印象、日の出》1873年
マネの世話でアルジャントゥイユにアトリエを構えたモネは、1874年に仲間達と無審査のグループ展、後の「第1回印象派展」を開催しました。
そこでモネは華々しいデビュー!
とはいかず、当時主流だった「ハッキリとした陰影と重くるしい色彩の古典的な絵画」に対し、モネたちの「柔和な陰影と明るく鮮やかな色彩の絵画」は酷評の的に。
ある批評家がモネの作品《印象・日の出》というタイトルにかこつけて、展示会の画家たちを「印象派」と呼んだことが、皮肉にも印象派という名称の由来になりました。
甘美な女性を描く|ピエール・オーギュスト・ルノワール
ピエール・オーギュスト・ルノワール《レースの帽子の少女》1891年
ルノワールといえば、フランスを代表する印象派の画家の一人。
柔らかな筆致と淡い色彩が特徴的で、女性を多く描いたことで有名です。
ルノワールの描く儚く甘美な女性は、表情だけでなく、ドレスや装飾品なども綿密に描かれています。仕立て屋とお針子を両親に持つ、ルノワールならではのこだわりが伺えます。
初期印象派では珍しい肖像画メインの画家
ピエール・オーギュスト・ルノワール《シャルパンティエ夫人とその子どもたち》1879年
先ほど「第1回印象派展」に出品した画家はのきなみ酷評されたと言いましたが、比較的に評価がよかった画家もいました。その1人が、風景画が中心の印象派のなかで、肖像画多く出品したルノワール。
これまでのアカデミーやサロンで、宗教画や歴史画が高く評価されていた背景から考えると、人物を描く肖像画の評価が高いのは必然かもしれません。
これで自信をつけ、肖像画で生計をたてていくことを決心したルノワールは、人物を描き続け、1879年のサロン・ド・パリに出品した《シャルパンティエ夫人とその子どもたち》での大好評をきっかけに、ルノワールは人気作家としての階段をのぼり始めました。
印象派の異端児|エドガー・ドガ
エドガー・ドガ《舞台のバレエ稽古》1874年
最も強く古典主義の系譜を受け継ぐ、印象派の異端児「エドガー・ドガ」。
ドガの特徴は、優れた構図とデッサン力、そして印象派展の重要メンバーでありながら古典絵画を軸にしていることでしょう。
鮮やかな色彩は印象派に近いですが、モチーフや描き方は真逆です。
屋外でなく屋内、自然光ではなく人工光を好み、写実的な描写に熱中するドガのスタイルは、印象派のあり方とは大きく異なります。
バレエを愛したドガ
エドガー・ドガ《踊りの花形》1878年
ドガは、バレエを主題とした作品を多く描き、作品の半分以上がバレエの作品だといわれています。
借金返済のために、よく売れるバレエの絵を描き始めたドガですが、当初の目的を忘れて、眼前を舞う踊り子たちの「運動の一瞬」をとらえることに熱中しました。
瞬間を切り取るという点から、写真技術も積極的に取り入れ、踊り子を撮影してはドローイングや絵画の下敷きにすることもありました。
最も印象派らしい画家|ベルト・モリゾ
ベルト・モリゾ《ベランダにて》1884年
3大女性印象派画家の1人であり、最も印象派らしい印象派画家「ベルト・モリゾ」。
モリゾは、都市や通り風景ではなく、自分自身の生活に焦点をあて、女性ならではの感受性で、家族や子ども、姉妹、友人の肖像を描きました。
鮮やかな色彩や官能的な質感など、本質的に女性的な印象派の特徴は、女性特有の感受性で描くモリゾと非常に相性が良く、当時の批評家たちからは「印象派グループにおける本当の印象派の1人」と評価されています。
マネとモリゾの関係性は?
エドゥアール・マネ《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》1872年
モデルとしてマネの作品に登場することが多いモリゾ。
印象派を代表する2人ですが、モリゾが女性であることから、なにかと恋愛関係がささやかれることがあります。
画家の垣根を越えた恋愛を期待する方も多いと思いますが、残念ながら2人の関係性は、互いに尊敬し合うただの親しい友人といわれています。
有名な印象派の画家の作品が観れる日本の美術館
アーティゾン美術館
引用:アーティゾン美術館
ブリヂストン美術館が2020年にリニューアルしたアーティゾン美術館。
約3000点の美術作品のコレクションを所蔵しており、モネの「睡蓮」シリーズをはじめとする、印象派のコレクションを豊富に取り揃えています。
公式HP:https://www.artizon.museum/
国立西洋美術館
引用:国立西洋美術館
国立西洋美術館は、フランス政府から日本へ寄贈返還された「松方コレクション」を保存・公開するために設立された美術館です。
印象派の絵画やロダンの彫刻を中心に、モネやルノアール、カミーユ・ピサロなどの素晴らしい傑作も多数収蔵されています。
公式HP:https://www.nmwa.go.jp/jp/index.html
ポーラ美術館
引用:ポーラ美術館|Wikipedia
ポーラ創業家2代目の鈴木常司がコレクションした作品を展示する美術館。
モネの作品を多く所蔵していることで有名で、常設展の「睡蓮」シリーズは見逃せない作品です。
公式HP:https://www.polamuseum.or.jp/collection/
まとめ
いかがでしたか。
今回は、印象派の代表的な画家や作品に焦点を当て、その歴史や成り立ちについて紹介しました。
色彩や光の表現は共通していても、画家によってスタイルが違うのが印象派のおもしろいところです。
美術館で印象派の作品を見るときは、その違いに目を向けるとより楽しく鑑賞できると思うので、企画展にいく際はぜひご参考ください。
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Q&A
Q. 印象派の画家は誰?
印象派の画家には、モネ、ルノワール、ドガ、シスレー、ピサロ、マネ、モリゾ、そしてセザンヌなどがいます。
Q. ゴッホは印象派ですか?
ゴッホは印象派ではありません。彼は後期印象派からポスト印象派にかけての時期に活躍した画家であり、印象派とは一線を画す独自のスタイルを持っていました。
Q.「印象派」という名称の元になった作品を描いた画家は誰か?
「印象、日の出」というモネが描いた絵画が元になっています。この作品は、1874年に開催された第一回印象派展で初めて公開された際、批評家たちから「印象派」という名前を与えられました。
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