印象派の創始者 クロード・モネとは?睡蓮などの代表作やその生涯を徹底解説

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クロード・モネ

目次

印象派の創始者|クロード・モネ

こんにちは。WASABI運営事務局のジョージです。

ゴッホと並び、日本で絶大な人気を誇るクロード・モネ。
当時の美術界隈への反発から始まった印象派、そのきっかけの《印象・日の出》を描いた、まさに印象派の創始者です。

しかし、その革新的なスタイルが世間から認められるようになるまでには、長い歳月を要しました。

今回はそんなクロード・モネの作品とともに、その生涯、モネが後世に与えた影響について徹底解説します。

クロード・モネの生涯

少年期

1840年、パリのラフィット街の裕福な家庭に生まれたクロード・モネ。
セーヌ河口の港町ル・アヴールで過ごします。

若干10代で絵の才能を見せはじめたモネは、10代後半になると人物画が地元で売れるようになり、一躍話題になりました。

クロード・モネ
クロード・モネ《ルエルの眺め》1858年

その活躍が、当時ル・アヴールで活躍していた風景画家ウジェーヌ・ブーダンの目にとまり、2人はともにスケッチをする仲になります。この出会いは、モネをアトリエから陽光の下へ連れ出し、風景画・油絵の転身のきっかけになりました。 

アカデミックへの幻滅、出会い

クロード・モネ
クロード・モネ《狩猟の記念》1862年

屋外でのスケッチを続ける中で、自身の核となる「外の空気を吸い、光を感じながらその瞬間を描く絵画」というスタイルを見出したモネ。

1859年、モネは絵を売って稼いだ貯金2,000フランを携え、パリで本格的に絵画を学び始めました。しかし長くは続かず、美術学校のアカデミックな美術教育に幻滅したモネは、1862年に退学。

同年、シャルル・グレールのもとで学びはじめたモネは、ルノワール、シスレーらと出会い、新たな芸術的価値観を育みました。
そのなかで生まれた、点描画法光の効果を激しい筆致で表現する技法は、のちの印象派に引き継がれます。

苦難と困窮

クロード・モネ
クロード・モネ《オンフルールのセーヌ河口》1865年

1865年のサロン・ド・パリに、海景画《オンフルールのセーヌ河口》と《干潮のエーヴ岬》を初めて出品し、2点とも入選します。

また、モネの作品の色使いや筆致には、徐々に印象派の手法の一端が垣間見えるようになります。特に、1868年に描かれた《河》は、人物や建物の輪郭が抽象的に塗られており、のちの印象派にかなり近い仕上がりです。

クロード・モネ
クロード・モネ《河》1868年

しかし、モネはこの年に経済的苦境から自殺未遂に及んでいます。
サロンの結果は芳しくなく、家族とは絶縁し、無一文で一時は失明するほどのストレスを抱えていました。

自殺をとどまったのは、妻カミーユと長男ジャンの存在があったからかもしれません。

印象派の誕生

クロード・モネ
クロード・モネ《印象・日の出》1872年

1871年、マネの世話でアルジャントゥイユにアトリエを構えたモネは、そこを拠点に6年過ごすことになります。

1874年、モネと美術的価値観を共有する画家(ルノワール、ピサロ 、シスレーら)は、のちに「第1回印象派展」と呼ばれる歴史的展示会を行いました。

しかし、展示会は酷評の嵐。当時主流だった「写実的で陰影がはっきりした絵画」に対して、モネらの「ぼやけた印象の描写と鮮やかな色彩の絵画」は受け入れられませんでした。

ある批評家がモネの作品《印象・日の出》というタイトルにかこつけて、展示会の画家たちを「印象派」と呼んだことが、皮肉にも印象派という名称の由来になりました。

妻・カミーユの死

クロード・モネ クロード・モネ《カミーユ・モネの死の床》1879年
クロード・モネ《散歩、日傘をさす女》1875年

1878年、経済的な困窮からアルジャントゥイユを離れ、ヴェトゥイユ村に移住したモネ。

同年、モネのパトロンであるエルネスト・オシュデのもとで共同生活を送るようになり、苦しいながらも新天地で邁進しようとしていた矢先、妻・カミーユが子宮がんにより1879年9月に32歳でこの世をさりました。

クロード・モネ
クロード・モネ《カミーユ・モネの死の床》1879年

モネはカミーユの死後、彼女の死顔を油彩で描きました。
後年、モネはこの作品を振り返り

「私はある日、最愛の妻の死顔を見て、自動反射的に光量の割合のようなものを設定したり、色味を設定していることに気がついた」

と話しています。

運命を変える出会い、そして解氷

クロード・モネ
クロード・モネ《解氷》1880年

妻・カミーユの死の翌年、1880年6月に「ラ・ヴィ・モデルヌ」誌のギャラリーで、初めてモネの個展が開催されました。《解氷》などヴェトゥイユの風景画を中心に展示した個展は、批評家や新聞での評判もよく、若い画家たちの間で、モネは英雄視されるようになりました。

モネは勢いそのままに、画商ポール・デュラン=リュエルと定期的に大量の絵を購入する契約を結びました。
このポール・デュラン=リュエルとの出会いがモネの運命を大きく変えていきます。

モネはその後、風景画や何度も同じ景色を記録した絵画シリーズ「連作」など、多数の作品を制作します。
そして1886年4月、デュラン=リュエルがニューヨークで開催した「パリ印象派の油絵・パステル画展」で、モネをはじめとする印象派の画家たちの作品は好評を博し、アメリカでの認知経済的な安定を獲得しました。

晩年

クロード・モネ クロード・モネ《日本風の太鼓橋》1922年
引用:クロード・モネ|Wikipedia

1881年、モネはポワシーに移住しましたが、この土地を好まず、2年後には家族と共にパリの西80キロのシヴェルニーへ引っ越しました。

シヴェルニーでの生活は、晩年の大成功につながるきっかけとなりました。白内障に苦しみながらも、「積み藁」や「睡蓮」などの連作を描き続け、今なお多くの人々に愛される作品を残しています。

クロード・モネ
クロード・モネ《日本風の太鼓橋》1922年

晩年、白内障の症状で視界がぼやけ、自身の見える世界そのものが「印象」となってしまったモネ。しかし、芸術への熱は死ぬ間際まで失うことはありませんでした。彼は1926年、86歳でこの世を去りました。

クロード・モネの代表的な作品

「日傘をさす女」- 1886年

日傘をさす女
クロード・モネ《日傘をさす女》1886年

モネの妻・カミーユを描いた《散歩、日傘をさす女》から約10年後、カミーユが亡くなってから6年後に描かれた作品です。

この作品のモデルは、2番目の妻の娘・シュザンヌです。
しかし、身に纏うドレスや構図は、亡き妻・カミーユを描いた作品と酷似しています。

《散歩、日傘をさす女》とは異なり、表情を描いていないのは、モネの中でカミーユの姿を追憶し、補完するためだったのでしょうか。

《日傘をさす女》についてもっと詳しく知りたい方はこちら

日傘をさす女

「日傘をさす女」に隠された切ない背景を解説

モネの代表作として有名な「日傘をさす女」。実はそっくりな作品が3枚も存在することはご存知でしょうか。今回は、3枚の「日傘をさす女」について解説します。

 

「積み藁 連作」- 1891年

クロード・モネ
クロード・モネ《ジヴェルニー付近の夕陽を浴びる積み藁》1891年

連作が有名なモネですが、この「積み藁」は最初の連作です。

散歩中、偶然見つけた積み藁が浴びる光に魅了されたモネは、急いで家から画材をもってきますが、描こうと思っていた光はなかなか現れませんでした。

そこからモネは、異なる時間や天候が積み藁におよぼす光と色彩の変化を追い続け、それはいつしか「連作」になりました。

「ジヴェルニーの庭園」- 1902年

クロード・モネ
クロード・モネ《ジヴェルニーの庭園》1902年

「僕が画家になったのは、花のおかげだろう」と語るほど、生涯花を愛し、花を題材にした作品を多く描いたモネ。

後期になるにつれて花の輪郭は省略され、色彩と配置で描かれるようになります。限りなく抽象的に近づけたこの作品は、過ぎ去った時間に思いをはせながら描いたような、まさに印象の風景画といえます。

「黄昏、ヴェネツィア」- 1908年

クロード・モネ
クロード・モネ《黄昏、ヴェネツィア》1908年

キリスト教世界でも最も重要な教会のひとつ、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会が、逆光の中にシルエットとして描かれています。

黄昏時の燃えるような光が建物、空、水面をオレンジ色に染め上げ、水平線に向かうほどその赤みは増していきます。

空にはうねるような筆致、水面には横向きのタッチを使っており、モネの巧みな筆づかいを見て取ることができます。

「睡蓮 連作」- 1907年

モネ 睡蓮
クロード・モネ《睡蓮の池》1907年

1897年から晩年まで約30年間、人生の半分を費やして制作された連作《睡蓮》。その作品数は、約250枚にのぼるといわれています。

これは1900年以降の《睡蓮》第2シリーズの作品。
水面に映る木々、その間を割くように伸びる空には、オレンジ色や淡い黄色が混ざっていることから夕暮れに描いたことが伺えます。

時の移ろいを、木々の影の濃淡と絶妙な色彩で、巧みに表現した《睡蓮》シリーズの傑作です。

モネと印象派が美術史に与えた影響

クロード・モネ
クロード・モネ《サン=ラザール駅、列車の到着》1877年

「印象派」の絵画運動は、モネを中心に生まれ、絵画史に革命をもたらしました。

当初はアカデミズム絵画の理想とはかけ離れ、嘲笑の対象にもなっていましたが、次第に広く受け入れられ、後の画家たちに大きな影響を与えました。そして、印象派はその形を変え、スーラやシニャックを代表とする新印象派や、ゴッホやセザンヌを代表とするポスト印象派へその意思を引き継いでいきます。

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日本を愛したモネ|浮世絵に受けた影響

クロード・モネ
クロード・モネ《ラ・ジャポネーズ》1876年

19世紀のパリは、日本の美術工芸品が注目される「日本ブーム」の真っ最中でした。この現象は、ヨーロッパ各国で開催された万国博覧会をきっかけに、浮世絵を中心とした日本の美術が一挙に紹介されたことが背景にあります。

浮世絵は、当時の若い画家たちに大きな影響を与えたと言われており、その中には印象派の生みの親とも言われるクロード・モネも含まれています。

モネは、日本の美術との関係が深く、自宅には200点以上の浮世絵を収集しました。

モネの庭園に架かる日本風の橋

クロード・モネ
クロード・モネ《日本橋と睡蓮》1899年

日本への溺愛ぶりは、絵画への影響にとどまらず、モネの邸宅にある「水の庭」と呼ばれる池に、日本風の橋を架けるほどです。

モネは、日本の浮世絵に描かれたような日本風の太鼓橋を掛け、池の周りには柳、竹、桜、藤、アイリス、牡丹などのさまざまな植物が植えました。

モネの作品が観れる日本の美術館

国立西洋美術館

美術館 印象派
引用:国立西洋美術館

国立西洋美術館といえば、ロダンの「考える人」の次にこの作品を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

国立西洋美術館では、睡蓮の他にも7点のモネ作品を見ることができます。都内でモネを見たい、という人にはまず一番におすすめできる美術館です。

公式HP:https://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

ポーラ美術館

美術館 印象派
引用:ポーラ美術館|Wikipedia

箱根の観光スポットとしても有名な「ポーラ美術館」は、睡蓮以外にもモネの作品を多数所蔵しており、モネの作品を堪能できる、国内有数のアートスポットです。

ポーラ美術館にはこの他にも20点以上モネの作品が所蔵されていますので、モネ好きの方はぜひ足を運んでみてくださいね。

公式HP:https://www.polamuseum.or.jp/collection/

まとめ

いかがでしたか。

クロード・モネは、芸術の歴史に不朽の足跡を残した偉大な画家であり、印象派の運動において重要な役割を果たしました。

彼の豊かな色彩感覚と独自のスタイルは、現代の芸術にも多大な影響を与えており、彼の作品は今日でも数多くの人々に愛され続けています。

 

Q&A

Q. クロード・モネは何がすごいのか?

印象派の巨匠クロード・モネの絵画の素晴らしさは、鮮やかで豊かな色彩、時の移ろいを感じさせる光の表現にあります。

また、当時主流だった「重苦しい色彩ではっきりと描く絵画」に対し、モネたちの「鮮やかな色彩の境界が曖昧な絵画」は革新的でした。

Q. クロード・モネはどういう人物?

クロード・モネは、フランスの画家であり、印象派の創設者の1人です。
時間や季節による光の移り変わりを追い求め、晩年は白内障に苦しみながらも、芸術への熱が冷めることはなく、最期まで作品を描き続けました。

印象派の由来になった《印象・日の出》や、人生の半分を費やし、約250点も描いた連作《睡蓮》で知られています。

Q. モネは日本の何に影響を受けたの?

モネは日本の浮世絵に多大な影響を受けています。
モネは30代の頃から浮世絵の収集を始め、生涯にわたり292点もの浮世絵を集めました。彼は単に集めるだけでなく、自分の作品の構図の参考にもしたとされています。

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