モネの代表作「日傘をさす女」3枚ある理由は?隠された切ない背景を解説
投稿日:(水)
目次
3枚の「日傘をさす女」
こんにちは。WASABI運営事務局のジョージです。
モネの作品で代表的なものといえば、『睡蓮』や『印象・日の出』など風景を描いた作品ですが、人物も数多く残しています。
その中でも傑作といわれている「日傘をさす女」。逆光に包まれた女性が印象的で、見覚えがあるという方もいらっしゃると思います。
しかし、この作品を含めて非常に似ている作品が3枚も存在することはご存知でしょうか。
今回は、構図もモデルもそっくりな3枚の「日傘をさす女」を解説します。
1作目の「日傘をさす女」
クロード・モネ《散歩、日傘をさす女》1875年
こちらは1875年、モネが34歳の時に描かれました。
描かれているのはモネの最初の妻カミーユとその長男ジャンです。ジャンは当時5歳でした。
散歩で先を急ぐ2人を後ろから呼び止めて振り返ったときの瞬間を描いています。風や草花の動きを流線的な筆致で巧みに表現したこの作品。爽やかな風、野花の香りまで感じることができます。
この時期のモネは、経済的には貧しい生活を余儀なくされながらも、妻と息子との幸せな日々を過ごし、画家としての情熱と創作意欲に満ちていました。
妻・カミーユの死
クロード・モネ《カミーユ・モネの死の床》1879年
貧しいながらも幸せな生活を送っていたモネですが、1枚目の《日傘をさす女》を描いた翌年、妻・カミーユが結核にかかってしまいます。
その2年後に次男のミハエル・モネが生まれますが、出産の負担からカミーユの体調が悪化。子宮がんと診断されたカミーユは、翌年の1879年9月5日に32歳でこの世を去りました。
2作目の「日傘をさす女」
クロード・モネ《日傘をさす女》1886年
この絵画は、1886年にモネが45歳のときに描かれたもので、彼の妻であるカミーユが亡くなってから6年経った頃に制作されました。この作品に描かれているのは、カミーユの死後にモネが再婚した2番目の妻アリスの娘であるシュザンヌです。
この絵画は、モネが亡くなったカミーユを思い出して制作されたとも言われています。前述した妻をモデルにした1枚目の作品とは異なり、シュザンヌの表情ははっきりとは描かれていません。このことから、この作品はカミーユと似た特徴を持つシュザンヌをモデルに描かれたのではないかとも考えられます。
3作目の「日傘をさす女」
クロード・モネ《日傘をさす女》1886年
3枚目の絵は、1886年に描かれた作品です。この作品も2枚目の作品と同様、人物の顔は描かれていません。作者は、最初の妻であるカミーユを想いながらこの作品を制作しました。
この絵のモデルは、2人目の妻の子供であるシュザンヌですが、作者が1人目の妻であるカミーユを思い浮かべながら描いたため、非常に複雑な作品に仕上がっています。しかし、その複雑さがこの作品の魅力であり、心に刺さる切ない作品に仕上がっています。
2枚目と3枚目では人物を描いたのではなく、永遠に脳裏に焼き付けたい「風景の一部」として2つの作品を描いたのでしょう。
モネはこの作品以降、人物を描くことは一切ありませんでした。
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「日傘をさす女」が観れる美術館
ワシントン・ナショナル・ギャラリー
アメリカのワシントンD.C.の中心地にあり、Smithshonian駅から徒歩5分で行けます。
この美術館には《日傘をさす女》の1枚目、妻・カミーユを描いた作品が展示されています。他にも、モネの連作《ルーアン大聖堂》や、ゴッホ、レオナルドをはじめとした巨匠たちの作品を数多く所蔵しています。
オルセー美術館
オルセー美術館は、ルーヴル美術館と並びパリを代表する美術館です。
ルーヴル美術館とも近くセーヌ川を渡り徒歩15分弱で行けます。
ここでは《日傘をさす女》の2枚目と3枚目、娘・シュザンヌを描いた作品が展示されています。他にもゴッホ、ルノアール、マネ、ドガなど印象派の傑作が展示されています。
まとめ
いかがだったでしょうか。
風景画で有名なモネが人物を描いた珍しい作品『日傘をさす女』。とても複雑で、切ない作品でしたね。
モネの当時の気持ちが作品からは感じ取ることができますね。
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