岡山芸術交流2022レポート|夢を見ることは難しいことかもしれない

投稿日:(木)

岡山芸術交流2022

目次

2022.10.19.UPDATE

 

岡山芸術交流2022を巡る

天気予報では徐々に暑くなると言われているのに、その日は何故か寒くて、雨も降っていた。念のために用意した薄手のパーカーが大変役に立ち、既に足元が濡れながらもメイン会場の旧内山下小学校へと進んでいく。

今回、私が訪れた岡山芸術交流は3年に1度開催されるアートイベントだ。岡山城を中心とした歴史や文化を感じられる場所に国内外のアーティストの作品が並ぶ。

岡山芸術交流の特徴は、1日でほぼ作品を鑑賞できるコンパクトなイベントであることと参加するアーティストによるクオリティの高い展示だ。

特に、毎回国際的に活躍しているアーティストをアーティスティックディレクターとして迎える展示の形式に注目が集まる。第1回目はリアム・ギリック、第2回目はピエール・ユイグと名だたるアーティストのキュレーションによって、ハイクオリティな展示が行われてきた。

第3回目となる今回はアーティスティックディレクターにリクリット・ティラヴァーニャを迎えての展示となる。リレーショナルアートの代表的な作家でもある彼は場をつくることや鑑賞者との交流を自身の大きなテーマとして作品を作っている。今回は、どのような展示になるのだろうか?パフォーマンスに片足を突っ込んでいる私にとっては、見る前からワクワクドキドキの展示であった。

「DO WE DREAM UNDER THE SAME SKY」について

第3回となる今回のタイトルは、「僕らは同じ空のもと夢をみているのだろうか(Do we dream under the same sky )」。

このタイトルはアートバーゼル2015にて発表されたリクリット・ティラヴァーニャ、トーマス・ヴーなどによるパフォーマンスとインスタレーションによって構成された作品が元になったと推測される。
参考資料:「DO WE DREAM UNDER THE SAME SKY」

岡山芸術交流2022のコンセプトブックでは、このタイトルの続きとなるようなポエムも記載されている。戦争や差別、政治と言った現実の世界に向き合いながらも、未来に思いを馳せようとしている姿勢がこのイベントの共通したテーマなのだろう。
岡山芸術交流2022公式コンセプトブック


旧内山下小学校

ペーパーランド、リクリット・ティラヴァーニャ

受付でパスの発行を済ませて、早速向かったのが体育館であった。白衣を着ているスタッフが妙に気になる。そう言えば、受付のスタッフさんも白衣を着てたなぁ、と感じながら大きな滑り台の回りをぐるりとまわる。

岡山芸術交流2022

岡山芸術交流2022 

後ろまで回り込むと、バンドブースがあった。近くには音響チェックをしている音響さん。私以外にもそこのブースを見ている人がいて、その人達に「(バンドブースに)上がっていいですよ」と言っていた。作品と鑑賞者の間に潜む主客の関係性をあっさりと超えられる感じが素敵だ。

片山真理

岡山芸術交流2022 片山真理

 旧内山下小学校はあらゆるところにアーティストの作品が展示されている。そんな中でも彼女の作品は、展示を見る前から引き込まれそうな独特な空間だった。

会場に入る前からキラキラと電飾が輝く。その近くに配置されているキャプションには片山自身からの強いメッセージが込められており、その言葉を噛みしめながら部屋の中に入る。

 岡山芸術交流2022 片山真理 

部屋の中は外に飾られた電飾と同じ黄~金色の電飾が輝いている。私はその煌びやかさと展示されている写真作品の強さに圧倒されるばかりだった。

「男」とか「女」とか「障がい者」とか、世の中には沢山のラベルが存在するが、それを越えたり、上手く盾にしたり、はたまた壊してみせたりする様子に感服していた。いや、感服と言うより、むしろバシっと背中を強く叩かれた感じ。

島袋道浩

 岡山芸術交流2022 島袋道浩 

「わけのわからないものをどうやってひきうけるか?」

島袋自身が教える海外の美術大学の学生が、意味も知らない日本語の歌をわけも分からないままに歌う映像が写し出されている。学生がいかに分からないものを分からないまま自分の中に受け入れられるかの練習として日本語の歌を歌っているようだ。

「分かること」「分かりやすいこと」が重要と捉えられてしまう昨今の一般社会の中で、いかに「分からない」の状態を保持するのか?やっぱりネガティブに捉えられがちな「わからない」は意外と豊かな状態なのかもしれない。このあたりの話は千葉雅也が言う「仮固定」の話と繋がるだろう。
参考資料:千葉雅也「勉強の哲学 来たるべきバカのために」

また別の場所では、「白鳥、海へゆく」の映像作品が展示されていた。

岡山芸術交流2022 島袋道浩

 公園の池や川でよく見るスワンボートが壮大な海へ出ていくポスターの様子に、思わずニヤニヤしてしまう。私の持つスワンボートのイメージと海や目の前に飾られたポスターとのギャップからだろう。

 岡山芸術交流2022 島袋道浩 

島袋の母親の故郷である岡山県の旭川。そこに40年以上前から置いてあるスワンボートを使って、海へ出ていく様子を映像作品として流している。あまりにもその様子が面白くて、1人でずっとニヤニヤしながら映像を見てしまった。こういう時にマスクは大変便利である。

アピチャッポン・ウィーラセタクン

光が入り込む事を防ぐためか、部屋の入り口には黒幕が掛かっていた。私がキョロキョロしながら中に入ろうとすると、ジャケットを羽織ったスタッフの人に「入りますか?」と聞かれて、中に入れてもらった。

部屋の中に入ると、薄暗くて、少し先に椅子が2つ並んでいた。そこに座ると、壁の中にガラスが埋め込まれており、そこから隣の部屋の様子が見える。セピア色の隣の部屋には、先ほど見てた島袋のスワンボートが置かれていた。本当に隣の部屋に置いてあるのか?それともただ映っているだけなのか?どちらか分からない。しかし、突然訪れた作家同士のコラボレーションに感激し、勝手に「なるほど、これが交流か!」と感じてしまった。

そんな雷に打たれた私に目もくれず、作品は進行していく。ふと目の前が暗くなったと思うと、背後の黒板に照明の光が当たる。そこには妙に読み取りづらく配置された文章。

どっちから読んだら良いのかも分からないし、そもそもこの文章に始まりがあって終わりがあるのかも分からない。楽しい混乱に包まれたまま、鑑賞を終えた。

 アピチャッポン・ウィーラセタクン

バルバラ・サンチェス・カネ

 バルバラ・サンチェス・カネ 

「悪臭の詩」と名付けられたこの作品は皮膚を用いて制作されている。人間の内と外を隔てる役割を持つ皮膚をモチーフとして扱うことで、より作品の生々しさを感じる。さらに、教師と生徒のように見える作品の配置や教室のあらゆる所にチョークで書かれた落書き?はどこを取っても、現代社会にリアルに突き刺さるような批評性を持っているように思えた。

リクリット・ティラヴァーニャ(芝生)

リクリット・ティラヴァーニャ

そんな「悪臭の詩」の部屋から眺めることができるのが、校庭に施された「DO WE DREAM UNDER THE SAME SKY」である。

この芝生の模様自体がティラバーニャの作品なのだが、なぜバルバラ・サンチェス・カネの作品の部屋からよく見えるのだろうか?すごく政治性や批評性の高い作品であるだけに、絶妙に意味が曖昧な「DO WE DREAM UNDER THE SAME SKY」が幅を利かせている。まるで、ブラックコーヒーと濃厚なバニラアイスを交互に食べているような感じだ。

「ああ、ここにも交流が…」と思いつつ、よくできた作家同士の企みのように思えて、しびれた。

アジフ・ミアン

熱を白く写し出すサーモグラフィーを用いた作品。ビニール素材をつなぎ合わせて生まれた洋服に熱風を当てることで、人間がいないのに、いるかのように見せている。

 アジフ・ミアン 

仮想と現実。そして監視。現代でも問題意識として取り上げられることの多いテーマを、この作品は鮮やかで軽やかに写し出している。

彼の作品は、小学校のいくつかの場所に展示されている。

 アジフ・ミアン 

屋外の池の中で流れている映像作品も、サーモグラフィーを使用した作品となっている。透けているように見える、服や人間。さらに伝統的な舞踊を踊っている人の様子に、どこか別世界で行われているかのような作品に感じだ。

プレシャス・オコヨモン

プレシャス・オコヨモン

 校舎を出て、プールに移動すると、大きなクマが現れた。今回の岡山芸術交流のアイコンとなるようなインパクトのあるビジュアル。その日は地元の小学生達が岡山芸術交流を鑑賞しに来ていたようで、小学生たちの様子を伺いながら、私もまじまじと鑑賞した。

岡山市立オリエント美術館

旧内山下小学校を出て、約10分ほどで到着するのが岡山市立オリエント美術館。オリエントとは、西はエジプトを含む北アフリカ、北はアナトリア(現トルコ共和国)、南はアラビア半島、東はアフガニスタンまでを含む広大な地域のことを指す。ここでは、それらの民俗資料、美術品などを集めて研究、展示を行っている美術館である。エキゾチックな雰囲気が漂う館内でも、岡山芸術交流に参加するアーティストの作品が鑑賞できる。

リジア・クラーク、ヤン・ハギュ

美術館に入ってすぐの場所に飾られているのが、リジア・クラーク(手前)とヤン・ハギュ(奥)の作品である。

 リジア・クラーク,ヤン・ハギュ 
グレーの角ばった抽象的な作品と、真っ直ぐ上にまで伸びる金色の作品は、この美術館に恐ろしく溶け込んでいる。

フリーダ・オルパボ

 フリーダ・オルパボ 

女性の顔や身体がコラージュされて1つの作品を構成している。使用している写真は植民地時代に撮影された黒人女性の写真で、いかにして黒人女性という存在が興味、関心、研究の対象として表されてきたのか、探るためのものである。

現代のジェンダーや人種に通ずる批評性の高い作品であると同時に、私たちが普段何気なく行う行動や眼差しに対して改めて考えを見直す機会にもなるだろう。

円空

「円空?」と感じる人も多いだろう。しかし、あの江戸時代前期の僧侶、仏師である円空だ。ここでは、円空の作品も岡山芸術交流の作品として展示されている。

ツアーで訪れていた女性が「円空って、なんでこれが現代アートなの?」と言っていた。恐らくこれが最大のコンセプトでもあり、私たちに対する問いなのだ。

オリエント美術館の展示について

オリエント美術館の作品は撮影不可だったが、見ごたえのある作品ばかりだった。モザイク画や館蔵品の展示も見ごたえがあり、ぜひ岡山芸術交流の作品と一緒に楽しんでほしいものだ。

岡山市立オリエント美術館

トイレのマークまでオリエントな感じも面白い。

岡山県天神山文化プラザ

岡山県天神山文化プラザ

デヴィッド・メダラ

デヴィッド・メダラ

 天神山文化プラザに入ると、すぐ目の前に不思議な作品が現れる。よく見てみると白い物体は泡で、どんどん生成されているのか?されてないのか?分からないようなゆっくりしたスピードで動いている。石鹸を使っているのか、嗅いだことのなる洗剤の香りで、より興味を引きつけられた。

午後に時間を持て余してしまった私はもう1度この展示を見に行った。すると、作品の様子が午前に見たときと少し変化しており、「やっぱり動いてたんだー!」と内心興奮した。

丁度、そのタイミングでスタッフの人が作品の近くにある電源を抜いた。なんとなくその行為が気になってスタッフさんに「電気で動いているんですか?」と聞いた。すると、その人は「そうなんです〜。それで泡が天井に当たってしまうといけないから、たまに電源を抜く必要があって…」と教えてくれた。

電気を抜いた作品はどんどんしぼんでいった。その様子をスタッフさんと一緒に見ながら、作品の洗剤の話や他の作品の話をした。午前中はガンガン見て回ることしか考えていなかった為、こうして1つの作品を見ながら人と話をする時間は貴重だった。この場所だけでなく、スタッフの人は皆、優しくて気さくな感じがして暖かい印象を受けた。

インデックス展

地下の方に移動すると、岡山芸術交流に参加するアーティストが集まって展示をしているインデックス展があった。

 岡山芸術交流2022 

赤い壁のブースに、それぞれの作家の作品が展示されている。今年の岡山芸術交流の作家の作品が一箇所にまとめられているだけに、インデックス=目次の意味を噛みしめてしまった。

アピチャッポン・ウィーラセタクン 

これはアピチャッポンの作品で、「静寂という言葉は静寂ではない」と書かれている。現代社会の妙に痛いところをスマートに突いてくる。痛いなぁ。

林原美術館

岡山城の近くということもあり屋敷のような立派な入り口に驚く。林原美術館は、岡山の実業家だった故林原一郎氏のコレクションと、旧岡山藩主池田家から引き継いだ調度品をメインとして扱う美術館である。

林原美術館

アート・レーバーとジャライ族のアーティストたち

 アート・レーバーとジャライ族のアーティストたち

竹で出来た音がなる作品。その日は機械の不調で作品が動かなくなったらしく、スタッフさんがそのことを丁寧に説明してくれて、入場スタンプの所に星のマークを付けてくれた。本来は当日のみ再入場可能だが、後日でも見れるようにとのこと。優しいし、ありがたい。

とは言え、作品の姿だけでも見ておきたいと思い、展示されている場所へ向かった。そこにいたスタッフさんからは大きい作品は動かないが、小さな作品は自分で鳴らす事ができると聞き、実際に鳴らしてみた。「場所によって鳴る音が違うでしょ〜」と笑顔で言われる。

アート・レーバーとジャライ族のアーティストたち

ワン・ビン

中国を舞台とした映像作品。膨れ上がっていく資本主義社会から逃げ出し、実際に穴の中で生活するようになった男性を元に制作された映像。

ニュースで見聞きするようなイメージとは裏腹に、穴の中で生活をする様子は、ゾッとするほどリアルで、しかしどこに行っても人間は変わらないんじゃないか?と思わせるような作品だった。

岡山神社

街中を歩いていると、ふと現れたのが岡山神社だった。神社正面にはダングラハムの作品が展示されており、裏側に回ると今回参加している作家の作品が展示されていた。

 ダングラハム 

ミー・リン・ル

 ミー・リン・ル

神社の社の中には2つのモニターが設置されており、その映像からはダンサーが室内の家具も用いて踊る姿が写し出されている。ダンサー本人と地元のダンサーによるコラボレーションなのか、それぞれ踊り方にクセの違いが出てて面白い。

アブラハム・クルズヴィエイガス

アブラハム・クルズヴィエイガス

神社の本殿にはグリーンとピンクのリボンが装飾されていた。フワフワと風でリボンが揺れる様子に、少し気持ちが穏やかになるような気がした。

 アブラハム・クルズヴィエイガス 

すぐ近くに、神社の木に付けられたグリーンとピンクの砂を入れたペットボトルが現れた。あまりにも風景に馴染み過ぎて、不意を突かれたような感覚になったが、認識してみると異物感もある。いや、でも可愛いし…と色々人間の認識について考えてしまった。

岡山城

池田亮司

岡山城の中の段には池田亮司の作品が展示されている。他の作品と違い、16時から21時の間で鑑賞が出来る為、注意が必要だ。映像作品の為、夕方よりも暗くなった時に見た方がより没入感を感じれるだろう。

 池田亮司

1日回って感じたこと

岡山芸術交流に訪れる前、初日に展示を見た知り合いからどれぐらいの時間で鑑賞できるか聞いた。その人は「展示場所が近いから1日あったら余裕で見れるよ」と言っており、その言葉は本当に本当だった。

何となく時間が惜しくて、1日1回昼間にしか上演されないアピチャッポンの上映を見なかった点は後悔が残る。そして案の定、時間を持て余してしまい午後は午前中に見た作品をもう1度見たりしていた。

この体験も良いものではあったが、強いて言うなら旧内山下小学校の体育館で行われるバンドライブを見ておいても良かったかもしれない。これも会場の体育館でライブの時間を確認できる。

しかし、それ以上に感心していることもある。今、私はこうして岡山芸術交流のレポートを執筆しているのだが、1週間以上経っても作品の写真を見返す度に、見た時の記憶や出来事を鮮明に思い出せている。そして思い出す度に、面白かったなぁ、ワクワクしたなぁという感情が沸き上がって自然と笑顔になっていた。

私はかなり物忘れが激しいタイプなのだが、1週間以上たっても展示のことを鮮明に覚えているという点では、このイベントは私にとっていい刺激になってたのだ。

夢を見ることは難しいことかもしれない

今回の岡山芸術交流で感じたことは、今の時代に手放しで呑気な夢を見ることは結構難しいことなのかもしれないと思った。

これからの社会を考えると色々絶望しそうになったり、不安に支配されそうな気持ちになる中で自分でも気付かないうちに近視眼的な思考になっている。勿論、ずっと夢みたいな世界の話を考えているだけで生活が出来る訳でもなく、短〜中期的な視座も必要なのは確かだ。

そんな中でティラバーニャが掲げたタイトルは鑑賞者だけでなく、作家や運営側という自らに対しても挑戦するような投げかけだったのかもしれない。数多くの作品とそれを見に来る鑑賞者、作家、スタッフの人達、色んなことが転がっている空の下で、私たちは夢を見ることが出来るのだろうか?

岡山芸術交流に参加していたアーティストはイベントが始まる3か月ほど前から岡山に滞在していたようだ。その片鱗はコンセプトブックの最初のページで伺うことが出来る。アーティストが岡山の土地で、各々に交流し作品を制作する様子は言葉に表せなくとも、キラキラした時間であったことが伺える。

アーティストみたいになろうとは言わない、それはそれで修羅の道なので。しかし、彼らみたいにもっと目の前のことに夢中になっても良いのかもしれないと感じさせられた。

常に私たちは存在してしまう

リクリット・ティラヴァーニャ 

 アーティスティックディレクターであるティラバーニャが1990年にニューヨークのギャラリーでタイ風焼きそばの「パッタイ」を振舞った。さらに1992年と95年に同じくギャラリーでカレーが振舞われたことが今回のカレーに繋がっている。

当時、「ギャラリーは作品を見る所であり食事をする所ではない」という暗黙の了解を打ち破るようなパフォーマンスはアートの世界に大きな影響をもたらし、ティラバーニャはリレーショナルアートを代表するような作家となった。

今回、旧内山下小学校の校庭で販売されたカレーもティラバーニャがニューヨークのギャラリーで振舞ったカレーのレシピを使用して作られている。しかし、このカレーによってティラバーニャが過去に行ったパフォーマンスが再演される訳ではない。

しっかりと校庭に食べる場所が用意され、1組ごとにテーブルがある。同じ時間に同じ場所で食べている人達の交流が発生することもなく、その場にいた私たちは「ティラバーニャのカレー」をただ食べに来た人であった。

きれいに文字が掘られた木製の蓋に、岡山県伝統の備前焼の器に盛られた皿で、注文すれば調理スタッフがテーブルまで持って来てくれた。何もかもがお膳立てされている。

恐らくこれはエンタメなのだ。しかし、私はこのカレーを批判したいわけではない。このエンタメでさえも、私たち(鑑賞者)が夢を見る為には必要な手段なのだ。

しかし、それが何なのか?執筆している私でさえも、カレーを食べていた時はワクワクしていたし、ちゃっかりティラバーニャのレシピのカレーではなく、エビ飯カレーを食べていた。ちゃんとカレーの写真も撮ったし、エビ飯をすごく勧めてきた父親には画像も送った。楽しかった。それでいいじゃないか。

あまりにも暴論すぎる思考の始末に、自分でも対処が出来ないほど驚いている。しかし、人間ってこんなもんじゃないのかな?と楽観的に考えてみる。少なくとも、このカレーによって私たちは現実から引き離された夢という別の視座を獲得するのかもしれない。

鑑賞中に白髪の男性、校外学習の小学生たち、地元のお年寄り達とガイドさん。みんなこの場所で同じ時間に同じ作品を見ている。この場に存在すること、全てを受け入れることはとても大変だ。しかし、このイベントでは絶えずそんな実験が繰り広げられているのかもしれない。

つまり、とても酷なことなのだ。「様々な要素や人が入り乱れる世界の中で常に夢的な視点を持て」というメッセージなのかもしれない。


■岡山芸術交流2022「僕らは同じ空のもと夢をみているのだろうか」

会期:2022年9月30日~11月27日

会場:旧内山下小学校、岡山県天神山文化プラザ、岡山市立オリエント美術館、シネマ・クレール丸の内、林原美術館、岡山後楽園、岡山神社、石山公園、岡山城、岡山天満屋

時間:9:00~17:00(最終入場は16:30まで)

入場料:一般 ¥1,800、一般(県民) ¥1,500、学生(専門学生・大学生)¥1,000、シルバー(満65歳以上)¥1,300、団体(8名以上)¥1,300

公式ホームページ: https://www.okayamaartsummit.jp/2022/



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