国際芸術祭「あいち2022」展示レポート 。生きていく中で発生するカオスを楽しんで。

投稿日:(月)

国際芸術祭「あいち2022」展示レポート 。生きていく中で発生するカオスを楽しんで。

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2022.8.29.UPDATE

私は何となく飽き性な性格で、同じ場所でずっと同じことをし続けることが苦手なようだった。とりわけ1人で旅行をするようになってからは、フラッと旅行に出掛ける日も増えた。

今回も作家の立場上、視察と言えばカッコいいが、そろそろ遠くに出掛けてみたい気分になって名古屋に向かったと言っても否定はできない。

関西から高速バスに揺られて2時間ほどで到着する名古屋。時間的にも金銭的にも関東まで出るより気軽に行きやすい。勿論、あいち2022の展示やパフォーマンスにも興味があるのだが、名古屋特有の食事や空気感が嫌いじゃないことも大きいだろう。

Day1

名古屋駅に到着し、さっそくお目当ての愛知文化芸術センターに向かう。今日はパフォーマンス作品であるトラジャル・ハレルのダンス作品を2つ鑑賞する予定で、2作品の上演の合間で現代美術の展示を軽く見る予定だった。

『ダンサー・オブ・ザ・イヤー』 トラジャル・ハレル(Trajal Harrel)

今回は世界初上演となる『シスター あるいは 彼が体を埋めた ─ Sister or He Buried the Body』とのダブルビル上演となる本作品。2017年に作品と同名の賞を受賞したハレルによって、「ダンス、ダンサーとは何か?」が再構築されながら進んでいく。

舞台は白っぽいリノリウムと舞台中央奥に白い壁、真ん中に畳のような質感の敷物が敷かれており、さらにその中央に赤いカーペットのようなものがある。白い壁沿いにはピアノ用の椅子が2つと家庭用のスピーカーが1つ置かれていた。
シンプルな構成からも、この作品がコンセプチャルな側面が強い作品であることがよく分かる。客席部分の明かりが消える訳でもなく、ふとした瞬間にハレルが白い壁の向こう側から登場した。


いよいよ始まるのか…と言わんばかりに、客席は徐々に静かになっていく。そんな観客の様子を横目に黒っぽいタイトなTシャツとジャージを着た彼は、ピアノ用の椅子に座って、手に持っていた大きなカバンからスカートと靴下を取り出し、それを着始める。

チュール素材のフワフワとした長めのスカートで、丈の長さはアシンメトリーに作られている。一部分はピンクやイエローなどの可愛らしい色合いで、柔らかな印象を持つ。ハレルはジャージの上からスカートをはいて、おもむろに音楽をかけて動き出した。

決して激しい動きではなく、いくつかの動きが連続したり、反復されながら時間が進む。その様子は、まるで稽古場で練習着の上から衣装を着て踊っているような様子に見えた。

その後も、何曲か曲が変わるとその都度、動きが変化する。しかし、ダンスすること自体は止まらない。


「私って踊れちゃうから、ついつい踊っちゃうんですよ」


大学院の知り合いでプロのダンサーとして活動している人が言っていた言葉を思い出した。その後すぐに、ハレルの様子を見て、「けっこう踊ってんなぁ…」と感じた。

もちろん、テレビやYoutubeで流れてくるK-popアイドルが踊っているようなバキバキのダンスとは全く質感が異なる。しかし動き続けていることには変わりなく、これがダンサー故の性なのか?と感じてしまった。


動けるからこそ、動いてしまうといったダンサー特有の悩みを思い出しながら作品を見続けていくと、ハレルの動きはどことなく、歴史的なダンスの動きを踏襲しながら作品を進めているようにも思えた。

何かに追われているような素振りをしながら反復される動き。時折ピアノの椅子に腰かけてPCからまた違う音楽をかけて、また違う動きを始める。ほとんどの場合、履いているスカートも違うものに履き替えて踊る。やはり稽古場的というか、日々の練習風景的な光景が作られている。きっとこの作品は習作的な試みが肝なのかもしれない。

作品が進んでいくにつれて、この作品は歴史的なダンスの動きを断続的に踏襲していく事で、「ポストダンス」について再考していくものなのだろう、と感じた。つまり、現在から未来にかけて通ずる「ダンスとは何か?」という概念の問題だ。


またハレルはピアノ椅子に戻り、音楽を止めた。カバンから大きなバスタオルを出して、汗をふく。そして立ち上がり客席の観客に向かって話始めた。「これが最後の曲です。この曲は一番難しい曲なので、最後まで続けられるか分かりません。でもその時は許してください」と英語で言った。


そうするとアップテンポな曲をPCから流し始め、クラブで踊っているかのような動きが反復して繰り返された。それは踊るというより、行為そのものに思えた。すると、途中から急に観客に対して投げキスを始めた。最初は特定の関係者に向かって投げキスをしていた。しかし、徐々にその範囲は拡大して、気付けば全ての観客1人1人に対して何度も行われていくものとなっていた。
そんな様子から、一番難しいと言った彼の言葉に納得がいった。エーリッヒ・フロムの言葉を借りるが、愛し続ける努力によって、やがて愛は発生するのだ。


ダンスとは何か?」それは踊ることではなく、行為そのものについて考えることなのかもしれない。ただただコンセプチャルなだけでなく、血の通った表現であることをしっかりと感じることが出来た作品だった。



『シスター あるいは 彼が体を埋めた ─ Sister or He Buried the Body』

だいたい25分ほどの上演。終始座りながら上半身だけを動かす動きで作品が進んでいく。

彼の持ち味である柔らかくて繊細な動きが、タイトルにあるシスターに向ける眼差しのように見えた。

シスターとは一体誰だったのだろうか?


フリーパスに救われる

事前に考えていたスケジュールでは、1日目にパフォーマンス作品のはしご観劇、2日目に愛知文化芸術センター内の展示を見に行く予定だった。しかし、ハレルの上演時間を待つまでの間に眺めていたあいち2022の公式ガイドブックから、明日の月曜日は休館日であることを知った。


完全に事前準備を怠ったのは私だが、衝撃のあまりに一瞬頭がフリーズした。こうなると、パフォーマンス作品を鑑賞する合間に展示を見るしかない。そう思った時に、フリーパスを購入して良かった、と感じた。


あいち2022には1DAYパスと期間中に何度も入場できるフリーパスがある。本来は1日だけ展示を見る予定だったので、チケットを購入する際に1DAYパスかフリーパスのどっちを購入するか悩んだ。結果としては、フリーパスを購入した。何故なら、10月も気になるパフォーマンス作品があった為、恐らく現地に行けばもう一度展示も見たくなるだろうと予想したからだ。


勿論、事前購入だけでなく、会期中に会場内で、1DAYパスからフリーパスにアップグレードすることも可能だ。愛知文化芸術センターだけでなく、一宮、常滑、有松地区にも展示があるこのイベントを、存分に楽しむにはフリーパスがおススメである。(そして、HP上に公開されている公式ガイドブックは事前に読み込んでおくと、私のような休館日の衝撃を受けなくて済むだろう)


公式ガイドブック
https://aichitriennale.jp/news/item/AICHI2022_GUIDEMAP_JP.pdf


チケット情報はこちら
https://aichitriennale.jp/tickets/index.html

 

現代美術展

トラジャル・ハレルの上演の合間に同会場の8階、10階にある現代美術展を見に行った。


展示は愛知文化芸術センター内で複数箇所で行われている。その中でもメインである10階の展示から見て回った。最初に展示されていたのは河原温の作品だ。「I Am Still Alive」シリーズ(1970‐2000年)と言って、彼が30年間の間に様々なアーティストに電報で「I AM STILL ALIVE(いまだ生きている)」と送り続けたものである。


まじまじと電報を見ると、本当に「I AM STILL ALIVE」しか書いていない。そもそも電報を触れたことも見たこともない世代なので、物体としても新鮮だった。しかし一瞬、我に返ってみると、30年間色んな人に「I AM STILL ALIVE」とだけ電報で送り続ける人って気持ち悪いな、と感じた。いや、アーティストだからこその執念と言った方がいいのだろうか?しかし、この執念こそが凄まじい表現を生み出すことも事実なのだ。

会場には国内外問わず様々なアーティストの作品が展示されている。



(リタ・ポンセ・デ・レオン「魂は夢を見ている」(2022))

 


(メアリー・ダパラニー)

 


(岸本清子「空飛ぶ猫シリーズ」)

 

(ジミー・ロベール「無題」(2020))


他にも百瀬文、リリアナ・アングロ・コルテス、笹本晃など見どころ満点の展示である。


展示の全体な印象としては、良い意味でごちゃごちゃ感があることだ。しばらくの間、海外の渡航が簡単に出来るものではなかったからであろうか?もしくは「STILL ALIVE」というテーマがそうさせているのか?特に日本人の作家においても、作品の出発点である新型コロナウイルスの発生は共通していても、アウトプットがまるで違うことに、良い意味で混乱した。

「生きること」とは何なのか?

身体性やソーシャル、政治性、パフォーマンス的な作品が多く、実際に観客が作品に触れて、体験が出来るものもあった。


(大泉和文「可動橋」(2020))

この作品は、奥に映る透明の橋が、10分に一度垂直に立ち上がる。ランダムに動き出す不安定な橋を鑑賞者が渡っていくのだ。私はビビりなので、渡れなかったのだが親子で渡る人を見ていたり、さも自然に渡っていく人の姿を見て、これもこれで体験のように思えた。


「カオス」について


愛知文化芸術センターの展示は全体を通じてカオスな雰囲気がある。様々な角度から「STILL ALIVE」について言及しており、それぞれの作品に深度がある故に政治性も帯びてくる。一つ一つの作品がとても考えさせられるものだからこそ、隣の作品に移った時にさっき見ていた作品についての思考が適用できないことが多い点が面白い。

愛知文化芸術センターを一歩出たオアシス21ではアイドルのイベントが行われていた。少し休憩がしたくて、近くのカフェに向かう私のすぐ目の前をマネージャーに連れられたアイドルが通る。一瞬のできごとだったが、衣装や雰囲気も独特なものがあった。


会場の中だけでなく、外でも様々なイベントや出来事が発生している。確か、前回のあいちトリエンナーレを見に行った時も、丁度「表現の不自由展」で炎上し始めていた頃だったので、黒い街宣車が周りをグルグル回っていたりしてカオスだった。


ちょっと質感が異なるかもしれないが、外で騒がれている様子と実際の現場の様子の違いや、これから不自由展を含めた展示がどうなっていくのか、常に足元が揺らいでいる感覚でそんな状況で見た当時のパフォーマンスや展示は、かなり良い体験だったのだと思う。

それらがあっての今回の展示だからこそ、前回感じていたカオスがどんな風に変化しているのか?いないのか?が個人的には見どころだった。結論から言うと、カオスを作り出している要素は全く異なるものの、そこまで前回と変わらない印象を受けた。それに私自身はビックリもした。なるほど、これはあいち2022そのものの持ち味だったのだ。


展示の統一性、一貫性がないと言えばそれまでだが、統一性を持たせることと同じように上手くごちゃごちゃ感を出すことは難しい。恐らく、このごちゃごちゃ感を1から構築しようと思って、構築したのではなく、それぞれの作品や土地柄から湧き出てきたものが大きいのかもしれない。

母親が東海地方出身の為、名古屋めしもそこそこ慣れ親しんでいる傾向にある。しかし、いつ見ても何度食べても、なんでそんなに茶色いんや?なんでそんなにいっぱい乗せるんや?と疑問が出てくるものなのだ。もちろん、エビふりゃーも矢場とんも、うみゃー(美味しい)ものには変わりないのだが、味噌カツだって私にとってはカオスなのだ。



(名古屋駅のエスカ地下街のやぶ福さん)


あいち2022常滑エリアのレポートはこちら

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国際芸術祭「あいち2022」常滑エリアの展示レポート 。焼き物の街で境界線を越える。

7月30日から開催が始まった国際芸術祭「あいち2022」の常滑エリアの展示レポート。シアスター・ゲイツ、グレンダ・レオン、服部文祥+石川竜一、黒田大スケ、尾花賢一の作品紹介。街と芸術祭について綴ったコラムです。


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