ブライアン・イーノ「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」京都で行われた展示レポート。じわじわと変化に包まれて。
投稿日:(火)
目次
ブライアン・イーノ。
大学院で所属していたゼミには、映像や音楽に詳しい人がいたため、何度か名前は聞いてきた。彼は、
Windows95の起動音を制作した、アンビエント・ミュージック(環境音楽)の第一人者。一体どんな作品が待っているのだろう?と少しドキドキしながら会場へと足を運ぶ。
連日の猛暑が少し和らいだようにも思える曇天。しかし、ジメジメとした湿気はあり、蒸し暑さを感じる。
会場は、京都駅から歩いてすぐの場所にある京都中央信用金庫 旧厚生センター。私はこの建物に初めて入るので、またしてもドキドキしてしまう。
建物の中に入ってすぐ、ガラスに書かれた文字が目に入った。
ゆっくりピントを合わせるように見ようとしていた時、会場スタッフの人に「チケットをお持ちですか?」と聞かれる。その流れのまま、会場の中に案内され、なるほど、あまり観客を泳がせないようにするスタイルなのか、と感じた。
チケットを読み取るブースでは、パンフレットを渡された後に「3階から鑑賞されることをおすすめします」と言われる。ついでにシャッター音の出るカメラでの写真、動画撮影は禁止であることも伝えられる。やはり音楽のような媒体を扱う作品だから、微細な演出や空間設計がなされているのだろう。
スタッフの人に案内された通り、3階まで階段を上がり、作品を鑑賞していった。
「The Ship」
入り口で靴を脱ぎ、黒いカーテン(暗幕と言っていいかもしれない)をめくって部屋の中に入る。部屋に入る前の注意書きには「部屋は大変暗いので、入り口付近で目を慣らしてからお進みください」という文言。そんなに暗いのか?と思いつつ、部屋に入って中に進もうとする。
部屋の中には、鑑賞者が座れるような箱型の椅子がいくつも置いてある。その箱は一つで4人ほど座れそうなもので、それに座っている鑑賞者達。部屋の暗さも相まって、なんだか地下壕のような印象を受ける。
ボーっと部屋の様子を眺めていると、急に視界が暗くなったように感じた。入り口の注意書きはこういう事だったのか、と感じる。その後、部屋の中に置いてある椅子に座り、ジッと音楽を聞く。斜め後ろには同じ箱の椅子に座る男性。全く知らない人であるが、不可逆的に同じ椅子を共有しているような感覚になる。やっぱり、どこか災害から逃れてきたような、ぐらつきのある逃避感を覚える。
5分ほどすると、目が慣れてきたのか周囲の人や物が鮮明に見えるようになった。向かいの箱に座っている女性はどんな顔なのか?スピーカーの位置はどのあたりで、この空間にはどれだけの人がいて…と、私は周辺の環境を観察し始める。そんな時間を過ごしていると、これは音楽や空間設計以上に、その中にいる人によって作品が作られているのかもしれない、と感じた。
会場に流れている曲は、2016年にリリースした「The Ship」。タイタニック号の沈没、第一次世界大戦の中で見えてきた、傲慢さと妄想の中で揺れ動く人間。それらをコンセプトに作られたこの空間は、アーティストでありながらアクティビストでもあったイーノの一面を早々に感じる事となった。
「The Ship」というタイトルの通り、海の中を進む船の中でジッと到着を待っているようにも見える鑑賞者。妙に地面や足元からやってくる身体的な感触にアナと雪の女王の「Frozen Heart」を思い出す。
これが冒頭の作品とすると、アナと雪の女王の導入のように、物語には関係なさそうな作品世界の周辺や背景を音や感覚から伝えていく手法が取られているように思えた。ちょっと構造が変わるけど、シェイクスピアの「ハムレット」で5幕の冒頭に登場する墓掘りのシーンも似ているかもしれない。
「Face to Face」
「The Ship」と同じフロアにある作品。モニターに写し出された画面には3人の顔が写っている。どれも鑑賞者と目が合うような形になっていて、作品を見ていると、自ずと画面に写し出された人と対面しているような形となる。そして、その顔はじっくりと変化していく。そして、私はその顔を見続ける。タイトル通り、まさに作品と鑑賞者がFace to Faceする形なのだ。
世界初公開作品であるこの作品は、実在する21人の人物の顔写真を元に、特殊なソフトウェアを使用して、ピクセル単位で徐々に顔が変化していくように設計されている。人からまた別の人に変化する過程で、実際に撮影していない顔、変化の中で意図ぜず混ざり合ったような形になった顔など、機械によって生み出された「新しい人間」を毎秒30人ずつ、36,000人以上誕生させている。
「写真を撮る時に何を写せば批評性が高くなると思う?」
大学院のゼミの中で教授が写真を研究している学生に対して聞いた。その学生は「人ですか?」と答えると、「そう!人なんだよ!」と言って、教授が話を続けた時のことを思い出す。
同じ「人」であるからこそ、自らの感覚や経験と結び付きやすく、批評性も強くなる。さらに、実在する21人の写真から、さらに「人」として増殖していくイメージを私たちは「人」として見ている。きっとその認知では、実在する人もイメージとして作られた人も区別されることなく、同じ「人」として認識しているのだ。「人間の認知なんて、大したことない」そんな皮肉を込められた作品のようにも思えて、改めて自らが考えるジェンダーや人種差別の問題について考えさせられた。
「Light Boxes」
壁に掛けられた3つ正方形の箱。それぞれがLEDの光によって色を変えていく。ここに来て、急に抽象的な作品が出てきた。しかし、作品から生まれる表象が徐々に変化していく様子は一貫している。
導入があって、次に人。タイトルも分かりやすくて、作品も変化があるからこそ、見ていられる。やはり、作品を見る順序でさえも、きちんと設計が組まれているのだと感じ、スタッフさんに「3階から見ることをおすすめします」と言われた事に納得していた。ここに来て、グッと抽象度の高い作品を持ってきた点についても、イーノの世界にどっぷりと浸かるために構成された流れなのだと、感じた。
「77 Million paintings」
いよいよ最後の作品として、この作品を見る。今まで船や人の顔などの具体的なモチーフから、自らの作品世界に引き込み、徐々に抽象度の高い作品を提示していく様子に、よほど何か伝えたいことでもあるのだろうか?と思っていた。
1階の展示スペースに足を運び、靴を脱いでから空間の中へと入る。最初に目が付いたのは大きくて象徴的なステンドグラス風の作品だった。それをソファに座りながら見る鑑賞者達。いくつものソファとランダムに立っている複数の木の棒、色んな色に変化する砂山。(塩盛のような形をしていた)
まるで教会のような空間の中心に、映像を写し出す複数のモニターがある。ステンドグラスのように組み合わされた複数のモニター達。そこには、絵画のようなイメージが写され、それらはゆっくりと変化していく。
シンプルなモチーフで組み合わさったイメージの中央には、1色のみが写し出される正方形のモニターがある。この色を中心に世界が作られているように感じる配置に、神話性的なものを連想する。
最終的には神や神秘性等に集約されるということなのか?と考えながらも、それは何だか安直な感想に過ぎないような気がしてならない。まだまだ勉強が必要だなぁ、と感じながら作品を後にした。
帰り際、入る時にじっくり見れなかったガラス板の文字を見る。
写真を撮ろうと思った時、そこにいたスタッフさんが画面の中に写ってしまいそうになったので。「これって写真撮っていいですか?」と聞いた。すると、彼は「どうぞ、何枚でも、ゆっくり取ってください」と軽快に言った。そんな返答に、私は軽くハハッて笑う。
自分の想像力を自由に発揮することができるのです。
part of every day, and to surrender to another kind of world,
we're freeing ourselves to allow our imaginations to be inspired.
きっとこの文言は、イーノが作り出す世界に入り込むために必要不可欠なものだったのだろう。私は彼の世界の中で自らの想像力を自由に発揮できたのだろうか?そう自問しながら、京都の街へと出た。
■BRIAN ENO 「AMBIENT KYOTO」
会期:6月3日~8月21日
会場:京都中央信用金庫 旧厚生センター
住所:京都市下京区中居町七条通烏丸西入113
時間:11:00 〜 21:00(入場は閉館の30分前まで)
入場料:平日/一般 ¥2,000、大学生・専門学校生 ¥1,500、中高生 ¥1,000、
土日祝/一般 ¥2,200、 大学生・専門学校生 ¥1,700、中高生 ¥1,200
公式ホームページ:https://ambientkyoto.com
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