ミュシャとは?有名な絵画やその生涯、浮世絵から受けた影響についても解説
投稿日:(木)
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みなさんこんにちは。WASABI運営事務局のジョージです。
19世紀末から20世紀初頭にかけてのアール・ヌーヴォー運動を代表するアーティストとして広く知られる「アルフォンス・ミュシャ」。
彼の作品は、流れるような曲線、華やかな色彩、そして神秘的な女性像を中心に据えた装飾的なデザインが特徴で、多くの人々を魅了してきました。
そんなミュシャの作品ですが、実は浮世絵から多大な影響を受けていることはご存知でしょうか?
この記事では、ミュシャの生涯と代表作、そしてミュシャと日本美術との深い関わりを解説します!ぜひご参考ください。
アルフォンス・ミュシャとは
引用:mucha
アルフォンス・ミュシャは、1860年に現在のチェコ共和国で生まれた画家・イラストレーターで、アール・ヌーヴォー運動の代表的なアーティストとして知られています。
彼の作品は、流れるような曲線や華やかな色彩、そして神秘的な女性像を中心に据えた装飾的なデザインが特徴で、ポスターや広告、装飾品など多岐にわたります。
ミュシャは、初めてパリで成功を収めた後、サラ・ベルナールとのコラボレーションや「四季」、「スラヴ叙事詩」などの代表作を生み出し、その後もヨーロッパやアメリカで活躍し続けました。
ミュシャの生涯
チェコからパリへ
引用:mucha
1860年、現在のチェコ共和国に生まれたミュシャ。幼い頃から芸術への関心があったミュシャは19歳でウィーンへ渡り、舞台装置工房で働きながら夜間のデッサン学校に通っていました。
その後パトロンの援助を受け、ミュンヘン美術院、28歳の時にパリのアカデミー・ジュリアンに通います。パリではデザイナーや挿絵画家として生計を立てていたミュシャ。画家として芽が出ない日々が続きます。
大女優との運命の出会い
1895年、そんなしがない日々を送っていたミュシャに転機が訪れます。
印刷所でバイトをしていたミュシャは、急遽ベル・エポックを代表する大女優サラ・ベルナールのポスター「ジスモンダ」を手がけることに。
そのポスターの出来を気に入られ、ミュシャはサラ・ベルナールと独占契約を結び、黄金時代を迎えます。
黄金時代
引用:Pinterest
サラ・ベルナールのもとで、ポスターや装飾パネル以外にも、舞台装置や衣装も手がける中で、その活躍を認められ、パリの大手出版会社「アルマン・コラン」の挿画家として活躍。アメリカの富豪をパトロンにつけるなど、まさに富と名声を手に入れました。
しかし、1910年にこれまで主流だったアール・ヌーヴォーから、直線的・立体的な「アール・デコ」にブームがうつると、アール・ヌーヴォーの顔役だったミュシャは忘れ去られ、黄金時代は終焉を迎えます。
民族画家への転身と晩年
引用:Pinterest
1910年、商業画家としてのキャリアが落ち着いたミュシャは、故郷であるチェコへ帰国。
そこでミュシャは、青年時代に志していたアカデミックな美術への回帰と、残りの人生をひたすら我が民族に捧げるという誓いを立て、民族画家への転身を図ります。そこで誕生したのが、20点もの作品からなる大連作「スラヴ叙事詩」です。
晩年は、無償でチェコの紙幣や国章をデザインしたことにより「絵画がチェコ国民の愛国心を刺激する」という理由でナチスドイツに逮捕されてしまいました。そのことが負担となり78歳の時に亡くなりました。
ミュシャとアール・ヌーヴォー
引用:Pinterest
ミュシャの作品の特徴といえば、優美で華やかな女性、風になびく豊かな髪、流れるような衣装、装飾的なモチーフを特徴とするデザインですが、そんなミュシャと切っても切れないのが「アール・ヌーヴォー」です。
アール・ヌーヴォーとは、フランス語で「新しい芸術」という意味を持つ美術運動で、その特徴は以下の4つ。
アール・ヌーヴォーの4つの特徴
□平面的
□曲線的
□装飾的
□動植物文様
ミュシャは作品に花や植物の文様を取り入れることも多かったので、アール・ヌーヴォーを代表する芸術家として名を馳せたのも納得ですね。
ところで今あげたアール・ヌーヴォーの特徴、どこかで見覚えがないでしょうか。
実はこれらの特徴は全て「日本美術」と合致するのです。
アール・ヌーヴォーと日本美術の交差点
引用:浮世絵コンシェルジュ
先ほど、ミュシャとアール・ヌーヴォーの関係性をご紹介しましたが、その2つに密接に絡んでくるのが「日本美術」です。
19世紀後半、日本の浮世絵や春画、陶磁器や漆器などの工芸品がヨーロッパに輸入され、多くの芸術家たちに影響を与えた「ジャポニズム」。それはアール・ヌーヴォーやその影響を受けたミュシャも例外ではありませんでした。
浮世絵の影響
ミュシャの作品には、浮世絵の特徴である平面的なデザインや独特の色彩が取り入れられています。特に、彼の描く女性のポーズや表情、背景の装飾などには、浮世絵の美人画のエッセンスが見られます。
日本の自然との共鳴
アール・ヌーヴォーは、自然の曲線やモチーフを重視する運動でした。この点でも、日本美術の自然を愛でる姿勢と共通点があります。ミュシャの作品には、日本の風景や植物がモチーフとして取り入れられていることも少なくありません。
日本人のミュシャ好きは明治時代から
明治時代のミュシャブーム
ミュシャの展示が行われれば、長蛇の列ができ、グッズが飛ぶように売れるほどミュシャ大好きな日本人ですが、そのムーブメントは明治時代からあったのはご存知でしょうか。
日本美術に多大な影響を受けたミュシャの絵画。日本人からすると自分たちの好きなエッセンスが散りばめられているわけですから、人気になるのも納得です。
作品のみならず、そのデザインを模倣した挿絵や雑誌の表紙が流行りました。
ミュシャの代表作品5選
「黄道十二宮」
引用:Pinterest
『黄道十二宮』は、1896年にミュシャが制作したリトグラフで、彼の代表作の一つです。
この作品は、印刷業者シャンプノワの依頼により、室内用カレンダーとして生まれました。高い評価を受け、『ラ・プリュム』誌の編集長が版権を購入し、雑誌のカレンダーにも採用されました。
作品は、太陽の軌跡「黄道」を12等分し、各部分に星座を当てはめた構図となっています。中心の女性の装飾的な美しさ、特に髪飾りや首飾りは、ミュシャのデザインの見事な調和を示しています。『黄道十二宮』のテーマは「時」で、星座や月桂樹、日月などの時を象徴するモチーフが随所に描かれています。
アール・ヌーヴォーの美術様式が取り入れられ、装飾的な曲線と女性の髪、植物の形態が一体となり、観る者に心地良い印象を与えます。
「イリュストラシオン」誌|クリスマス号の表紙
引用:Pinterest
この作品は、イリュストラシオン誌のクリスマス特集号でミュシャが特別に描いた挿絵です。
1896年から97年に移り行く時の流れを、手前で青白く眠る人が過去の年、寄り添うように描かれた人物が新しい年を表しています。
眠る人が持つアザミは過去の失敗や痛みを示し、隣の人の背後の鳥や星、教会は新年の希望と幸せを象徴しており、イリュストラシオン誌の中で最も美しい挿絵と称されています。
「四季」
引用:museums
アルフォンス・ミュシャの『四季』は、1896年に制作された一連の装飾的ポスター作品で、春、夏、秋、冬の4つの季節をそれぞれの女性の姿で表現しています。
各ポスターには、季節の特徴や象徴を持つモチーフや背景が描かれ、女性たちは季節の精霊のように描写されています。
ミュシャ独特の流れるような曲線や装飾的なデザインが特徴で、アール・ヌーヴォーの美学を象徴する作品として知られています。
「夢想」
引用:Pinterest
『夢想』は1897年にミュシャが制作したリトグラフ作品で、『黄道十二宮』に次いでミュシャの作品群の中でも特に人気が高い一つです。
この作品は、円形の装飾模様を背景に、美しい女性像を中心に描かれており、その円は繊細な花で飾られ、茎はレースのようなデザインで表現されています。
この作品は、もともと印刷業者シャンプノワのためのポスターとして制作され、女性が膝に置いているアイテムは印刷物の見本帳を示しています。当初は名前のないこの作品は、『ラ・プリュム』雑誌の人気を受けて、一般に売り出される際に『夢想』というタイトルが付けられました。
連作「スラヴ叙事詩」
引用:Pinterest
ミュシャの『スラヴ叙事詩』は、20世紀初頭に制作された20枚の大型キャンバスからなる壮大な絵画シリーズです。
この作品群は、スラヴ民族の歴史と伝説をテーマにしており、ミュシャのチェコ愛国心と彼のルーツへの敬意が強く反映されています。各絵画は、スラヴの歴史の重要な瞬間や伝説的なエピソードを描き出しており、ミュシャ独特の装飾的で夢幻的なタッチで表現されています。
このシリーズは、彼の生涯の作品として位置づけられ、彼のアートの集大成とも言えるものです。完成後、ミュシャはこれらの作品を彼の故郷であるチェコに寄贈し、現在はモロヴィアのミュシャ博物館で展示されています。
まとめ
いかがでしたか。
今回はミュシャの生涯と代表作、日本美術との関係性について解説しました。
時代を超えて多くの人々に愛され続けているミュシャの作品。
彼の独特なスタイルやテーマは、アートの歴史において独自の位置を占めており、今日でも多くのアーティストやデザイナーに影響を与えています。
この記事を通して、ミュシャの魅力や深い思考を感じていただければ幸いです。
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