ミレーの代表作「晩鐘」とは?その魅力から壮絶なオークションまで解説

投稿日:(金)

ミレーの代表作「晩鐘」とは?その魅力から壮絶なオークションまで解説

目次

こんにちは。WASABI運営事務局です。

その象徴的な要素と深遠な意味合いから、美術史上において重要な位置を占めている、ジャン=フランソワ・ミレーの「晩鐘」。

しかし、その背後には、壮絶なオークションの戦いや、作者ミレーの人間愛に満ちた視点がありました。

この記事では、「晩鐘」の魅力を深掘りし、その制作背景から影響、評価までを詳しく解説します。

ミレーの代表作「晩鐘」とは

フランスの画家・ミレーの代表作

ミレー 晩鐘
引用:ジャン=フランソワ・ミレー|Wikipedia

ジャン=フランソワ・ミレー(1814年 - 1875年)は、19世紀フランスを代表する画家で、農民や田舎の風景を描いた作品で知られています。彼はフランスのノルマンディー地方の農家に生まれ、若い頃から絵画に興味を持ちました。

ミレーはパリの美術学校で学び、その後バルビゾン派の一員となり、自然主義的な風景画や農民の生活を描くことで評価を高めました。

彼の作品は、農民の日常生活を描きながらも、その中に人間の尊厳と労働の価値を見出し、それを強調することで知られています。

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神に捧げる感謝の祈り

ミレー 晩鐘
ミレー《晩鐘》1857-59年

「晩鐘」は、1857年から1859年にかけて制作されました。この作品は、一日の仕事の終わりを告げる晩鐘が鳴り響き、それを合図に農民夫婦が手を休め、神と祖先に感謝の祈りを捧げる様子を描いています。

「晩鐘」制作のきっかけは祖母との思い出

ミレーは、この作品を制作するにあたり、自身の祖母が畑仕事をしていた際に、鐘の音が聞こえるたびに、自分たちの仕事の手を止めさせて、死者に祈りを捧げるよう言ったという思い出を元にしました。

また、ミレーはこの作品を通じて、人間の尊厳と労働の価値を強調しています。

キリスト教における晩鐘「アンジェラスの鐘」について

ミレー 晩鐘
引用:ピアノがおしえてくれたこと

「晩鐘」の原題は「アンジェラスの鐘」です。

アンジェラスの鐘は、カトリック教会で毎日3回捧げる「お告げの祈り」の時間を知らせるもので、その祈りの文言がラテン語で「アンジェラス ドミニ(主の御使い)」の言葉で始まることから「アンジェラスの鐘」と呼ばれています。

この祈りは、「聖母マリアさま、罪あるわたしたちのため、今も、臨終の時も、どうぞお守りください」との言葉があり、多くは午前6時、正午、午後6時の3回行われます。

ミレー「晩鐘」の象徴と意味

描かれている象徴的な要素

ミレー 晩鐘
引用:アートをめるぐおもち

「晩鐘」には、多くの象徴的な要素が描かれています。足元にあるジャガイモが入ったカゴは、当時の農民の主食であり、2人の労働に対する真摯な態度を表しています。また、夫婦の周りに置かれた鍬や押し車は、彼らの農作業の道具を象徴しています。

それらの要素が持つ意味と解釈

これらの象徴的な要素は、ミレーが描きたかったテーマ、つまり人間の尊厳と労働の価値を強調しています。彼は、農民が一日の仕事を終え、神と祖先に感謝の祈りを捧げる様子を描くことで、労働の尊厳とその結果として得られる収穫の価値を表現しました。

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ナポレオン3世による「晩鐘」の政治的利用

立場によって異なる「晩鐘」の評価

ミレー 晩鐘
引用;ブルジョアジー|Wikipedia

《晩鐘》を描いた頃、貧困に喘いでいたミレーは、妻と7人の子供を養うために、なんとか絵を売りたいと考えていました。

しかし、当時のフランスは、産業革命によって貧富の差が拡大し、農民や労働者階級とブルジョワ階級の対立が高まっていました。
そのためミレーの作品は、農民の悲惨な生活を訴える政治的メッセージのある絵だと受け止められ、農民や労働者からは支持され、ブルジョワからは危険な絵だと批判されます。

ナポレオン3世によって持ち上げられる

ミレー 晩鐘
引用:ナポレオン3世|Wikipedia

この騒動を逆手に取ったのが、ナポレオン3世でした。
国民の投票で選ばれたナポレオン3世からしてみれば、国民の大多数を占める農民からの指示を得ることが重要でした。そこで1867年のパリ万博でミレー展を開き、《晩鐘》を展示します。

農民を描いた絵を政府が評価したことによって、農民を自分たちの方に取り込もうとしました。政府のお墨付きをもらった《晩鐘》の評価は急激に上がり、高く評価されます。

「晩鐘」の壮絶なオークションとその後の運命

パリ万博と「晩鐘」の購入計画

ミレー 晩鐘
引用:パリ万博博覧会|Wikipedia

1889年、フランス革命100周年を記念してパリ万博が開催されることになりました。

この時、フランスの美術局長アントナン・プルーストは、「晩鐘」を国が購入し、万博で展示する計画を立てました。しかし、同じ頃、アメリカでも「晩鐘」の購入計画が進行していました。

アメリカの美術市場と「晩鐘」

ミレー 晩鐘
引用:それはスリリングでドラマチック華麗なるオークションの世界

当時のアメリカでは、宗教的な要素が強くない絵が人気を博していました。

ミレーの「晩鐘」は、十字架やキリスト、聖人を明示的に描く絵ではなく、清貧な農民の姿から神を感じることができる絵で、アメリカの美術市場にとってはちょうど良い作品でした。

そしていよいよ、《晩鐘》を巡るフランスとアメリカのオークションが幕を開けます。

壮絶なオークション

ミレー 晩鐘
引用:オークション|Wikipedia

1889年7月1日、ついに《晩鐘》がオークションにかけられ、フランスとアメリカの間で激しい競争が始まりました。

開始価格の30万フランから値段はどんどん上がり、アメリカが驚くべき55万フランを提示しました。しかし、フランスが最後の意地を見せ、55万3000フラン(約5億5300万円)で落札しました。

しかし、落札したフランス政府は、予算を大きく超えた金額だったため、支払いを拒否しました。結果として、「晩鐘」はアメリカのニューヨークへ渡り、アメリカ各地で展覧会が開催され、大人気となりました。

「晩鐘」の帰還

ミレー 晩鐘
引用:美の浪漫飛行2

その後、フランスのデパート王アルフレッド・ショシャールが、「晩鐘」はフランスの宝であるとして、私財を投じて8億円で買い戻しました。

そして1909年、彼は「晩鐘」をルーヴル美術館に寄贈しました。これは当初の価格の約300倍の値段でした。

まとめ

いかがでしたか。

今回は、「晩鐘」の魅力を深掘りし、その制作背景や評価、壮絶なオークションの戦いまでを詳しく解説しました。

 

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