幽霊画とは?幽霊を描いた日本画や浮世絵15作品と成り立ちを徹底解説
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こんにちは。WASABI運営事務局のジョージです。
江戸時代から、多くの日本画家や浮世絵師に好まれてきた「幽霊画」。
幽霊といえば、足のない女性もしくは霊魂を想像される方が多いと思いますが、実はその発祥が幽霊画だったことはご存知でしょうか?
今回は、そんな幽霊画を、日本画と浮世絵に分けてご紹介します。
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幽霊画とは?
円山応挙《返魂香之図》19世紀
幽霊画とは、文字通り死者の魂、幽霊を描いた絵を指し、江戸時代から明治時代にかけて描かれた日本画や浮世絵のジャンルの一つです。
葛飾北斎や歌川国ら著名な浮世絵師や、円山応挙や月岡芳年などの日本画家がこぞってこのモチーフを描き、多くの作品が残されています。
また、今でこそ馴染み深い「足のない幽霊」は、円山応挙の《返魂香之図(はんごんこうのず)》が元祖とされています。
「足のない幽霊」の元ネタは中国の故事?
引用:幽霊の日 と 幽霊画 と 幽霊画の着物
応挙の《返魂香之図(はんごんこうのず)》の元ネタとささやかれているのが、中国の故事にある「反魂香」。
この反魂香というお香を焚くと、その煙の中に死んだ者の姿が現れ、伝説の香の煙で足がみえないという描写があります。
確かに、先端にかけて細くなっていく様子は私たちのイメージする足のない幽霊に近いものを感じますね。
幽霊画が描かれた背景
引用:弘前・久渡寺所蔵の幽霊画「返魂香之図」、応挙真筆認定 市有形文化財に
幽霊画が描かれた背景として「供養」や「魔除け」が主な目的で描かれたといわれています。
最近の調査で、絵を寄進した弘前藩家老森岡主膳元徳が、妻と妾を相次いで亡くし、その供養のため応挙に描かせたことが明らかになっています。
また、地域によっては雨乞い利用していたという記録も残っています。
日本画家が描く幽霊画11選
「幽霊画」|円山応挙
円山応挙《幽霊画》19世紀
吊り上がった目、耳まで裂けた口、生前の強い恨みを持っていたことが伺える一枚。
恐ろしい表情とは対照的に、絵全体の印象はどこか悲壮感に満ちており、やるせなさを感じます。
「幽霊図」|円山応挙
円山応挙《幽霊図》19世紀
醜い顔立ちと女性らしい胸元に手を当てる所作のギャップが、なんともユーモラスな幽霊。
乱れ髪や不自然に伸びた前歯のインパクトが強いですが、生前もこのような顔立ちだったのでしょうか。もしかしたら、死に際の恨みつらみがここまで醜い姿にしてしまったのかもしれません。
「産女」 |月岡芳年
月岡芳年《産女》不明
亡くなった妊婦を埋葬するとなるという伝統的な幽霊・妖怪「産女(うぶめ)」を描いた1枚。
他の絵師は正面から描くことが多い「産女」ですが、芳年はあえて後ろ姿を描いています。血濡れた腰布、赤子の足、想像の余地がある分、こちらの方が恐ろしく感じてしまいます。
「宿場女郎図」|月岡芳年
月岡芳年《宿場女郎図》不明
宿場の宿屋の2階へと続く階段に立つのは、病によってやつれた女郎の姿。幽霊ではありませんが、骨と皮だけになった姿からは、幽霊以上の生命への執着が感じられます。
伝えられるところによれば、作家の芳年は実際に宿場で病に倒れた女郎を目撃し、それを描いたのかもしれません。彼が目にしたのは、幽霊よりも恐ろしい何かだったのかもしれません。
「怨霊」|河鍋暁斎
河鍋暁斎《怨霊》不明
大きな愛は時に激しい恨みにもなりえます。掴まれた生首は生前に愛した男性でしょうか。
恨みを果たして感嘆の叫びを上げているようにもみえる一方、自身の髪を掴む腕からは、殺めてしまった後悔の念を感じます。
「幽霊図」|河鍋暁斎
河鍋暁斎《幽霊図》不明
見開かれた眼孔、飛び出さんばかりの躍動感、その姿はまるで獲物を仕留めたばかりの肉食獣のようです。
8歳の時に神田川で拾った生首を写生したという伝説が残っている晩斎。
晩斎の幽霊画によく生首が登場するのは、その影響が強いのかもしれません。
「幽霊図」|河鍋暁斎
河鍋暁斎《幽霊図》不明
掛け軸から完全に抜け出してきた幽霊。騙し絵の意匠を感じられる1枚。
「今にも出てきそうな幽霊」を描いた幽霊画はいくつかあり、当時の絵師たちのすばらしい発想力、表現力、そして旺盛なサービス精神を感じます。
「怪談乳房榎図」|伊藤晴雨
伊藤晴雨《怪談乳房榎図》不明
「怪談乳房榎図」は、後に歌舞伎化もされた円朝作の怪談の一場面を描いた作品です。
絵師・菱川重信は、美しい妻に横恋慕した弟子によって殺害される。幼い息子まで滝つぼに投げ捨てられたそのとき、幽霊となった重信が息子を抱えて水中から現れました。
すさまじい形相ですが、我が子を抱く手つきは優しく、慈愛に満ちています。
「幽霊画」|伊藤晴雨
伊藤晴雨《幽霊画》不明
晴雨の思い切りの良い筆捌きが、幽霊の儚さと物悲しさを見事に表現した1枚。
棺から出てきた女性の幽霊。顔を覆う仕草は、棺を見ることで確定する自身の死から目を逸らしているようにもみえます。
「皿屋敷」|池田綾岡
池田綾岡《皿屋敷》不明
一見、生身の女性にみえますが、右の袂が透けていることから、彼女も幽霊であることがわかります。
女性の名前は、お菊。「1枚...2枚...」と恨めしそうに皿を数えることで有名な怪談「皿屋敷」を描いた作品です。
「蚊帳の前の幽霊」|鰭崎英朋
鰭崎英朋《蚊帳の前の幽霊》1906年
こちらも怪談の一部を描いた作品。
浪人の新三郎に惚れたお露は死後、カランコロンと下駄を鳴らし、夜な夜な新三郎のもとを訪れます。そして、とりつかれた新三郎はやせ細り、命を落としてしまう。
恨みではなく、恋焦がれて出てくるタイプなので、徹底的に儚く美しく描かれているのが特徴です。
浮世絵師が描く幽霊画4選
「浅倉当吾亡霊 市川小団次」|歌川国芳
歌川国芳《浅倉当吾亡霊 市川小団次》不明
農民一揆を題材にした歌舞伎『東山桜荘子(ひがしやまさくらそうし)』に登場する主人公・浅倉当吾の幽霊姿。
乱れた頭髪、歪んだ表情、痩身にベッタリとはりつく血、力なくダレる手は、ポピュラーな幽霊像そのものです。
「お岩さん」|歌川国芳
歌川国芳《お岩さん》不明
最も有名な怪談といっても過言ではない「四谷怪談」のお岩さん。
病による醜い容姿のせいで夫に裏切られたお岩さんが、幽霊となって復讐を果たすという悲劇のストーリーです。
燃え上がる提灯から現れるお岩さんの虚な瞳には、
「百物語 お岩さん」|葛飾北斎
葛飾北斎《お岩さん》不明
葛飾北斎は、提灯から現れるお岩さんの逸話を元に、提灯そのものをお岩さんに見立てました。
コミカルな風貌は、幽霊というより妖怪に近いですね。
ちなみに、北斎の「提灯お岩」は、のちにゲゲゲの鬼太郎で知られる水木しげるも描いており、「提灯お化け」のルーツともいわれています。
「百物語 さらやしき」|葛飾北斎
葛飾北斎《さらやしき》不明
恨めしく皿を数えることでお馴染みの「四谷怪談」の1つ、皿屋敷のお菊さんを描いた作品。
こちらもお岩さん同様、非常にコミカルに描かれています。
ろくろ首のような姿は、よくみると連なった皿で構成されています。
まとめ
いかがでしたか。
今回は、浮世絵師、日本画家が描いた「幽霊画」をご紹介しました。
幽霊画には、みるだけで恐ろしくなる作品とおもわず笑ってしまう作品があります。
江戸時代には、魔除けや泥棒除けとして、怖ければ怖いほど高値で取引されていたといわれています。
家におどろおどろしい絵を飾ることには抵抗がありますが、ちょっと笑ってしまうような「家を守ってくれる絵」は一枚持っていてもいいのかもしれません。
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