アート的散歩の楽しみ方。目的を手放す4つの方法【 日々を楽しみ、豊かに生きるVo.2】
投稿日:(金)
目次
歩く、見付ける、体感する
職場の農園で働く傍ら、在宅ワークで仕事をする日々も増えてきた。特に1日家で仕事をした時は、15分ほど散歩をしたくてムズムズしてしまう。今日はそんな日の散歩について、お話します。
前回のコラムはこちら
散歩について
そもそも、「散歩」とは何なのでしょう?人によっては考え事をする時に散歩する人もいるし、1人になりたい時にする人もいるし、ダイエット目的の人も多く存在します。
そんな私はどういう目的で散歩をしているかというと、散歩と言う行為そのものが目的だったりします。強いて言うなら夜ぐっすり寝る為かもしれません。私は恐らくふらついている時間が好きなのでしょう。とは言え、たまにはメダカの餌を買いに行ったり、シュークリームを買いに行くついでに、ゆっくり歩くこともしばしばあります。
目的至上主義からの開放
私は元々舞台人なので、作品制作をする時は逆算して制作スケジュールを考えます。まずはいつまでに何をしたいか、目標設定をしてから、何をやっていくべきなのか?逆算していくスタイルです。しかし、これは全然珍しいやり方ではなく、ビジネスでもよく使われるやり方ですよね。
仕事や作品制作においてプロジェクトを回していく観点で言えば、目的や目標設定を行ってそれに伴い手段を逆算して考えることは、効率的ですし、場合によってはクオリティも上がります。
しかし、逆に目的がないと動けない状態も、何だか不自由なのではないか?と思ったのです。それそのものを否定したい訳ではないのですが、では目的がない時ってどうするのだろう?と思ったからです。
私は体質的に牛乳を沢山飲めない人間ですが、カフェオレやミルクティーは大好きです。お腹もあまり強いタイプではないのですが、いっぱい食べるのは好きなので、暴食に走ります。だからよくお腹を壊します。
昔、舞台照明家さんから「お腹を壊した時は思い切って1日ぐらい何も食べないと良い」と言われました。1日お腹を空けてあげると、疲れた胃腸も休めるし、一旦リセット出来るから、と理由を聞いて学生時代の私はかなり真に受けました。
今でもそれは変わらず、お腹を壊した時は一旦、固形物を食べるのをやめたりしています。周りの人からはちょっと心配される時もありますが、意外にもこれが自分の身体を考え直したり、そもそも食べる行為について考えさせられたりするものです。
食べることは多くの人にとって日常に組み込まれているもの。しかし、それらを一度リセットしたり、中断することは、行為そのものを続ける以上にその行為についてより考えさせられるものになります。そして何より一旦空っぽになっていく自分と向き合うことで、無の時間を楽しめることが私にとってはいつも面白い体験なのです。
少し話は逸れましたが、こうして何もない時間や何もない状態を楽しむ体験が、日々の生活の中にあれば素敵だと常々思うのです。とは言え、日常において目的を持たないこと以上に持つ場面の方が多いと感じます。お料理をするにしても、ご飯を食べるにしても、メイクするにしても染みついているかのように理想とか、次の目標とかを何かにつけて考えてしまいます。勿論、目的そのものを持つこと否定したい訳ではないのですが(2回目)、常に目的を作り出さなきゃいけないことや、何故ゴールがないと走りだせないのか?と色々疑問に思うことが多いのです。とは言え、そんな私もお散歩のときは毎回目標地点を定めないとお部屋から出てこない引きこもりでもあったりします。
発見を楽しむ
「目的や目標を持つこと」に対する思考のこねくり回しタイムはこのあたりにして、そろそろ今回の「散歩」の話題に移りましょう。
散歩の良さを単刀直入に言ってしまうと、歩く行為そのもののスピード感だと思っています。歩きながらボーっと見る空とか、空気の香りとか、そんな一瞬がずっと頭に残っていて、また次の年もその経験を繰り返す、その体験が私にとって散歩の醍醐味のように感じます。
私は昨年の夏ごろから車を運転するようになり、歩いて移動する機会がかなり減りました。そんな中で去年の春は桜の木の下を自転車で駆け抜けたことや、ボーっと夏空を見ながらひたすら道を歩いたことを思い出しては、何事も早く効率的に動くことだけが全てではないように思えました。車では発見しえないスピード感があったからこそ、私は過去の体験を得ることが出来たのです。
とは言え、それらはただ歩くだけでは感じられなかった体験とも言えます。その時の感触や風景、自らの身体などが混ざり合って、記憶に残る体験が生まれたものなので、身の回りの環境から何かを発見し、それを楽しむ行為がないと、散歩による素敵な体験は生まれないでしょう。
では散歩においてどんなものを見て、発見しているのか?
ここからはざっくりとまとめてみたものを挙げていきたいと思います。
建物観察
知らない町とか旅先の散歩だとよくやります。朝とか夜にフラッと街の中を歩くのです。建物の作りとか街の作りとか、橋の形とか、それぞれの物体から街の歴史や考え方がイメージ出来るような気がしてワクワクします。
人間観察
こちらも建物観察同様に、よくやることです。しかし、人間観察は普段住んでいる街でもやります。近所のおばあちゃんは今日も元気に花を植えているなぁ、とかちょっとした変化が面白かったり、思いもよらない発見がコロコロ転がっているものです。
植物観察
お花とかハーブとか、植物を育てるようになると自ずと道端に生えている草や花にも目がいくようになりました。たとえ種類が分からなくても生え方や節の分かれ方など、色々観察すると、その土地の植生なんかを想像出来るような気持ちになります。こちらは私自身、まだまだ勉強が必要な分野ですが、ふと目に入った逞しい草に元気をもらったりして、いつも良い体験をもらっています。
そして妄想
建物、人間、植物の観察まで進めば、ぶっちゃけここからは妄想です。この土地は今後どうなっていくのか?植物はどう変化するのか?という出発点に始まり、最終的には地球はどうなっているのか?宇宙と繋がるにはどうしたらいいのか?と飛躍してしまっても良いと思います。その思考の中で自らが楽しみや面白みを感じられれば万々歳だと思うのです。
突っかかりから思考を広げる
正直、世の中って突っかかりだらけだと思うのです。暑い、寒いに始まり、この人はちょっと違うなぁって感じることも大体みんな突っかかりなのでしょう。しかし、突っかかりのないつるつるピカピカの人やモノなんて存在しないので、これが日常でもあるのです。
普段はその突っかかりを敢えて感じないようにしてたり、見えないようにしたり、上手くスルーしたりして生活を送っている人が大半だと思います。だからこそ、その閉じたアンテナを散歩のときだけでも開放してみましょう。きっと、自らが拾った突っかかりから素敵な体験を得られるかもしれません。
私を含めた大半の人が、散歩じゃなくてもどこかに出掛ける時には何らかの目的を持つもの。しかし、さっきまで述べたことを実行してしまうと、途端に最終の目的を忘れてしまいそうになりますよね。しかし、思い切って目標は忘れてしまっても良いかもしれません。少しの散歩の時間の間でも目的を持つことを手放してみて、素敵な体験の種を見付けてみませんか?
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