ポスト印象派ってなあに?その特徴や有名な絵画作品までわかりやすく解説

投稿日:(金)

ポスト印象派

目次


初めまして!

ダンサーで、WASABI運営事務局アルバイトをしています しょうこです。

普段からお手伝いをさせていただいているWASABIで、この度初めてのコラムを担当させていただくことになりました!

今回は、魅力的なアーティストが沢山誕生した時代、ポスト印象派についてご紹介したいと思います。

皆さんが一度は見たことがある、あの作品も登場しますよ。

ポスト印象派とは

モネ 散歩・日傘をさす女
印象派の作品群から|クロード・モネ「散歩、日傘をさす女」

皆さん「ポスト印象派」という言葉、聞いたことはありますか?

ポスト印象派とは「印象派の後」という意味で、その名の通り1886年〜1905年にかけて発展していった画家たちの時代を指します。日本で定着した後期印象派、という言葉を聞いたことがある人もいるかもしれません。

1870年代から80年代にかけて流行した印象派の時代というのは、ざっくり言うと”一瞬の光を描く”ことにみんな夢中でした。

印象派について詳しく知りたい方はこちら

 

 

ゴーギャン・説教のあとの幻影
ポスト印象派の作品群から|ポール・ゴーギャン「説教のあとの幻影」

ポスト(後期)印象派と後に呼ばれる画家たちの多くは、元々印象派として活動をしていたり、印象派の技法に強く影響を受けていた人たちがほとんどでした。

’’後期’’印象派と聞くと、印象派の画家たちの思想に共鳴した人たちが、さらにその技法を深めて行ったのか...という感じがしてしまいますが、実はその逆。

だんだんと、もっと別の表現方法があるんじゃないのか?と、探求して行く人たちが出てきます。

印象派という表現方法の枠を飛び出し、それぞれがやりたい表現を追求していくようになる、この時代を総称して「ポスト印象派」、と呼ばれているんです。

ポスト印象派の特徴

印象派から影響を受けながらも反発していったポスト印象派画家たち。彼らの作品にはどのような特徴があるのでしょうか。

では、ポスト印象派の画家たちの有名な作品をいくつかご紹介します。

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ポール・セザンヌ「パイプをくわえる男」
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フィンセント・ファン・ゴッホ「パシアンス・エスカリエの肖像」
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ポール・ゴーギャン「メラヒ・メトゥア・ノ・テハーマナ」

同じ流派のはずなのに、なんだが画風が全然違って見えないですか?

まさにこれがポスト印象派の大きな特徴なんです。

これまで、共通した表現技法の単位で”流派”とまとめられてきた流れに対し、

ポスト印象派の画家たちは、集団から離れ、個人の思想や技法を様々に発展させて行きます。

やりたい表現を自由にやって行こうぜ!みたいな感じでみんなそれぞれ勝手にやり始めたので、全然違う作品がいくつも生まれたのです。勿論使っている技法も特徴もバラバラです。その総称がポスト印象派というわけですね。

ポスト印象派の画家たちの交流と影響

独自の表現を個々に探し始めた彼らですが、お互いに全く交流がなかった訳ではありません。それぞれに接点を持ち、刺激しあっていた存在であると言えると思います。

かの有名なフィンセント・ファン・ゴッホは、同世代の画家達に、自分のアトリエで共同生活をしながら絵を描こうじゃないか!と招待の手紙を送っていたそうです。

残念ながらその誘いに乗ってくれたのはゴーギャンただ一人でしたが...

アトリエ「黄色い家」を描いた作品はとてもポピュラーですよね。

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フィンセント・ファン・ゴッホ「黄色い家」

ここからはポスト印象派の御三家と言われる三人の画家たちにスポットを当て、彼らの作品と技法について紹介して行こうと思います。

近代美術の父|ポール・セザンヌ

トップバッターは、ポスト印象派の先駆者とも言える、ポール・セザンヌ。

彼の作品で最も有名な一枚はこちら。『リンゴとオレンジのある静物』です。

セザンヌ『リンゴとオレンジ』
ポール・セザンヌ「リンゴとオレンジのある静物」 

かつては印象派に属し活動をしていたセザンヌ。

印象派の中ではちょっと変わり者扱いだった彼。

「移ろう光を追いかけるだけでは、確固として存在する対象物の実体をおざなりにしている」と印象派の表現に疑問を抱き始めたと言われています。

「確固として存在する対象の実態」...???

ちょっと筆者には難易度が高すぎました。

セザンヌの有名なセリフに

「自然を円筒形と球体と円錐形で捉えなさい」

という一節があります。

つまり、全部簡単な図形にして描こう!ていうことなんですね。なるほど。

デフォルメと複数の視点からの描写

印象派を離脱した後、セザンヌは対象物をデフォルメして描く独自の表現を追求し始めました。

これまでの描き方とどう違うのでしょうか。

バロック時代を代表する静物画とセザンヌの静物画を見比べて見ましょう。

カラヴァッジョ『果物籠』
バロック期の作品群から|ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ「果物籠」
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ポール・セザンヌ「桃と梨」

 2枚を見比べると、確かに、セザンヌの絵は物の輪郭線をはっきりとした線で描いていますね。それにしてもなんだか、バランスがちょっと変な気も。

セザンヌはいろんな角度から見た対象を一枚の絵にドッキングして描いていた、と言われています。

桃のお皿は上から見た角度で描かれているけれど、それ下の机の引き出しは真横から見た角度で描かれているように見えませんか?

セザンヌはある一瞬、ある角度からしか見えない一瞬の時間、ではなく普遍的イメージとしての対象を描くことを目指していた、と言われていますが、

ただ絵が下手だっただけ、なんていう説もあるとかないとか。

ですがこの不思議な無重力感、なんともクセになる魅力があります。

まだ、正しいパース・写実的な表現が正義とされていたこの時代に、セザンヌの作品はかなり異端として扱われ、勿論良い評価などもされませんでしたが、その後登場するゴーギャンやピカソをはじめとする数々の前衛画家たちから絶大な支持を得ることになります。

 

孤高の画家|フィンセント・ファン・ゴッホ

続いては日本で一番有名と言っても過言ではない画家、フィンセント・ファン・ゴッホのご紹介です。

ひまわりの絵は皆さん一度は目にしたことがありますよね。

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フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」

ゴッホの作品の大きな特徴として、この鮮やかな色使いと、絵の具をあえて塊のままキャンバスに乗せる、厚塗りの描き方が挙げられます。

鮮やかで躍動感のあるひまわりの独特の形はかなり印象的なのではないかと思います。

そんなゴッホですが、実は彼が画家として本格的に絵を書き始めた初期は、こんなに暗い絵を描いています。

フィンセント・ファン・ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」 

意外ですよね。彼はその当時オランダ・ハーグで起こったハーグ派のムーブメントに強く影響を受けていました。

印象派の出会いと作風の変化

その後パリに活動の地を移し、印象派の絵画と出会います。

印象派の画家たちの描く豊かな色彩に感銘を受けたゴッホの絵は、ここからガラリと色鮮やかな作風に変化していきます。

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フィンセント・ファン・ゴッホ「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」

すごい!風が吹き抜けていったかのように、一気に画面が明るくなりました。印象派との出会いが、ゴッホにとってどれだけの衝撃だったか、この絵をみれば想像に難くありませんね。

諸説ありますが、ゴッホには色覚異常があった、という話があり、それがゴッホの絵の特別鮮やかな色遣いに一役買っていたのかも知れません。

ゴッホは眉毛の影を描くときに緑を用いたり、ひまわりの中心に赤を入れるなど、実際にはないけれど全体で見ると確かにリアルに見える、独特な色遣いをすることでも有名です。

浮世絵からの影響と日本画の要素

ゴッホに影響を与えたのは印象派の絵画だけではありません。

ご存知の方もいるかも知れませんが、日本の浮世絵も彼に大きく影響を与えたと言います。ゴッホは歌川広重の浮世絵を模写したり作品を収集するなど、かなり日本画を好んでいたようです。

日本画特有の平面感や、物の輪郭を実線で縁取る手法を自身の作品にも取り入れています。

 

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フィンセント・ファン・ゴッホ「花咲くアーモンドの木の枝」

セザンヌが印象派の表現手法に疑問を呈し、独自の作風を生み出して世間に挑んでいったのに対し、ゴッホの場合はどんどん新しい技法を習得し自分の作風に落とし込んで行った、という感じがしますね。

 ゴッホは画家として活動した10年間で約2000点の作品を描き残していますが、そのうち生前に売れたのはたったの1枚と言われています。

しかし皮肉なことに、彼の絵は 彼が亡くなった年から徐々に人気がてきており、わずか5年後には展覧会が開かれるほどでした。

彼の作品が次代の画家たちに多大な影響を及ぼしたのは言うまでもないですね。

楽園、タヒチへ。|ポール・ゴーギャン

さて、ポスト印象派御三家、最後の一人を見ていきましょう。

その波乱万丈な人生で有名なポール・ゴーギャン。

ジャーナリストの父を持ち、母方のペルーのルーツを持った彼は若くして商船に乗り世界中の海を旅していた、という経歴の持ち主です。

彼の画家としてのキャリアのスタートは日曜画家。平日は株式仲買人として働き、週末に趣味として描くスタイル。スーパーサラリーマンだったんですね。

ゴーギャンも、他のポスト印象派の画家たちと同じく、印象派の画家に絵を教わるなどかなりの影響を受けていました。

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ポール・ゴーギャン「水浴の女たち」

 

印象派からの離脱と自己表現の探究

自身の意見や思想を強く持っていたゴーギャン。 

印象派の画家たちが追い求めた一瞬の光を切り取る表現に対し、

ゴーギャンは、描く主題に対しての画家本人の感覚・主張の必要性を見出していきました。

付け加えて、その後移り住むことになるフランス北西部のポン=タヴァンという土地で、彼の絵は原色を使った大胆な色遣いや、象徴的な主題という特徴を開花させていきました。 

未開の楽園を求めて

彼の作品群の中で最も高く評価されているのがタヒチ滞在中の作品の数々です。 

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ポール・ゴーギャン「アレアレア」

プリミティブな題材と大胆な色使いが魅力的ですよね。

その頃、ヨーロッパ文明と「人工的・因習的な何もかも」が嫌になってしまったゴーギャン。逃げるように滞在先として選んだのは"未開の楽園"タヒチでした。

実際はすでにフランスの植民地であり西洋化がかなり進んでいたその地でしたが、ゴーギャンは自身の夢見ていた楽園を描いた作品を何枚も残しています 。

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』

ゴーギャンのタヒチの絵には、男性がほとんど描かれていないのをご存知ですか?

これも、彼の見たかったタヒチ、思い描く未開の楽園、を描くためだったと言われています。

そんな彼の最高傑作とされているのがこちらの絵。

タイトルは『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』。

西洋の宗教観とタヒチの伝統的宗教観の対比、霊的なイメージや生死観など、ゴーギャンの当時の全てが詰まった作品、と称されています。

ゴーギャンが残した作品の数々はクロワゾニスムという技法や彼の主張していた綜合主義など、その時代の一流派を捉えることに於いて大きな仕事をしたと言えます。 

近代美術発展のカギ?アンデパンダン展

今回ご紹介しているポスト印象派の作品たち。みなさんも薄々お気づきかもしれませんが、今や名画と称されるこれらの作品、当時はほとんど見向きもされない絵ばかりだったんです。

それまでの”美”の定義からは大きく外れた作品ばかりだったんですね。

当時絵画市場で絶大な権力を誇っていたのが、政府直々に管理していた「サロン」でした。 

当時評価されていたのはこんな絵

 
分かりやすい!!!!!
こういう絵が大好きだった当時の偉い人たちに、印象派以降の作風はピンとこない感じ、なんか納得です。

案の定、もうサロンなんかいいや!自分たちで展示会やろう!と、印象派画家が発起人となり、参加費を払えば誰でも出展できる展示会が始まります。

その名も「アンデパンダン展」。

アンデパンダン(independants)とはフランス語で独立した人たちと言う意味。

アンデパンダン展には様々な新進気鋭の作品たちがずらりと並び、その作品を買いに、有力な画商も多く集いました。

彼らのおかげで、本来であれば日の目を見なかったかもしれない「新しい芸術」たちは守られ、美術の歴史に名を残すことができたと言ってもいいのではないでしょうか。

そんなアンデパンダン展、実は現在、その輪は世界各地に展開しています。日本アンデパンダン展は1947年から今でも毎年開催されているんですよ。

 

アンデパンダン展が輩出した へたっぴ天才画家|アンリ・ルソー

最後に、筆者が個人的にとても影響を受けた、イチオシ画家をご紹介したいと思います。

アンリ・ルソーは41歳まで、いたって普通の人生を過ごしていました。「税官吏ルソー」と呼ばれることもあるように、税関職員として49歳で定年退職するまで、平日は働きながら休日に絵を描く日曜画家として活動していたのです。


アンリ・ルソー「私自身、肖像=風景」

彼はこれまでに絵画教室や、ましてやアカデミーの教育など一切受けてこなかった、”趣味で絵を描くおじさん” でした。ところが、早々に関税局の仕事を退職、退職金で生活しながら画家になることを決心します。

独自の画風とルソーの魅力

勿論、王道のセオリーなど持ち合わせていない彼の作品はサロンで展示されることはありませんでした。

ですが、先述したアンデパンダン展に出品したことをきっかけに、彼の絵は広く大衆の目に晒されることになります。彼の珍奇な絵は嘲笑の的として巷に広まって行ったのです。

 
アンリ・ルソー「フットボールをする人々」 

「正しい絵」からは遠く離れたルソーの作品ですが、なんだか印象に残りませんか?

彼の絵は最初から最後まで画風が変わりません。これは描き続けているその間、誰からも余計な影響を受けずに、ただ自分の描きたい絵を心のまま描き続けた証拠ではないかと思います。

鮮やかな色使いと、彼が明確に描きたかったであろう「主題」のユーモラスな表情。

好きで描くことの素晴らしさを、ルソーの絵は教えてくれているような気がするのです。

若手画家たちからの支持とその後の影響

アマチュア画家、へたっぴルソーの絵は、彼が還暦を迎える頃にはいつの間にか沢山の若手画家やアーティストたちから絶大な支持を受けるようになりました。

中でもキュビズムの生みの親、皆さんご存知のピカソは熱烈な支持者だったと言われています。これってなんか、すごいことですよね。

 
アンリ・ルソーWoman Walking in an Exotic Forest

 

まとめ

ポスト印象派の世界、いかがでしたか?

当時誰からも相手にされなかった作品の数々が、芸術家たちの意思が、大きなうねりとなり、やがてその時代を語るアイコン的存在となっていきました。

彼らのほとんどが、生前作品を評価されることなく、そして制作活動を十分に終えることなく突然に死を迎えています。

誰になんと言われようとも描くのをやめなかった彼ら。

なんてかっこいいんだ。めっちゃかっこいい。

あなたの作品は今、世界中から愛されているよ!!と伝えたい気持ちになったのは筆者だけではないはず。

 

ポスト印象派画家の作品は国内の美術館でも沢山目にすることができます。

ぜひ、彼らの人生観や歴史背景に思いを馳せながら、或いは、よく分からないなあ、変だなあ、なんて思いながら 彼らの作品を眺めてみてはいかがでしょう。

 


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