信じた道を進み続ける【ロバートネルソンムーア インタビュー①】作品に注ぐエネルギーの源とは

投稿日:20時間前に更新

信じた道を進み続ける【ロバートネルソンムーア インタビュー①】作品に注ぐエネルギーの源とは

目次


名古屋を拠点に、アーティスト・デザイナーとして活躍するロバートネルソンムーアさん。

確かな技術と経験、そして愛情が注ぎ込まれた作品は、さまざまな場所で多くの人にエネルギーを伝え続けています。

今回は、彼が自身の人生を通して抱き続けた「夢を追う情熱」、そのルーツやメンターとの出会い、そして日本で活動を始めたきっかけについてお話を伺いました。

聞き手・構成:WASABI編集部(シナモリ)
撮影:アライルイ

ロバートネルソンムーアとは

▶ 紹介・経歴はこちら

ロバートネルソンムーア(Robert Nelson Moore)は、アメリカ・テネシー州出身の画家、デザイナー。

幼少期より独学を含めてデッサンやデザインを学び、グラフィックデザイナー、建築イラストレーターとしてキャリアをスタート。過労による体調不良をきっかけに、最先端の治療を求めて来日。2007年に名古屋へ移住。
 
ヒルトン・ジャパンのリブランディングをはじめ、多数の大手企業・ブランドの広告やデザインを手掛ける。

その後、アーティストとして「ICONSコレクション」や独自の「抽象表現主義」スタイルを確立。現在はインテリアと調和する一点物のアクリル画を中心に制作活動を行っている。

【主な作品・活動】
■富士通: NOMALを通じて、企業向け壁画を制作
■三菱UFJ銀行(MUFG): 本社にオーダーメイドの壁画を制作
■KDDI: 4地域を象徴するオーダーメイド絵画4点を制作
■トヨタコネクテッド: 名古屋・アフリカ向けに特注レースカーアートを制作
■新日本印刷: 本社ホール・壁画・会議室(2室)・社長室を含む全ウォールアートを制作
■ヤマギワ: 名古屋ショールーム及び三越百貨店内のヤマギワホームショップで、抽象画を小売展示・販売

アートの道を進むと確信していた

ロバートネルソンムーア 『COOL ABSTRACT』
ロバートネルソンムーア 『COOL ABSTRACT』


-本日はよろしくお願いします。まずは、ロバートさんがアートの道を選ばれたきっかけや、経緯について教えていただけますか?

ロバート:幼い頃から、私はいつも鉛筆やインクを手にとり、夢中で絵を描いていました。漠然と、しかし強い自信を持って、「自分は将来アーティストになるのだ」と思っていたのです。

私が育ったのはアメリカ・テネシー州の田舎町です。8人家族の長男だったのですが、家はお金に余裕がなく、両親が朝から晩まで懸命に働いているような、とても質素な生活環境でした。

ですが、その厳しい現実と夢との大きなギャップこそが、「芸術を通じて、充実した豊かな人生を切り拓いてみせる」という強いモチベーションになりました。

11歳頃には、周囲に向かって「将来はプロの画家かイラストレーターになる」と宣言していました。そこから10代後半にかけて、数多くの美術書やデッサン本を熱心に読み込むようになったんです。特に建築のパースやイラストレーションに強く心を惹きつけられました。

本の中で目にする美しい家やインテリア、建物のデッサン、そして絵画—それらが「職業」として成り立っていることに、幼い私はとても驚きました。「自分にもプロになれる可能性があるんだ」と気付かされたのです。

2人のメンターとの出会い

1人目のメンターから贈られた本

1人目のメンターから贈られた本
1人目のメンターから贈られた本


-早い段階から夢を抱いていたのですね。プロのアーティストを目指す中で、特に大きな影響を受けた出会いはありましたか?

ロバート: 15歳の頃に出会ったプロの工業デザイナーの方です。彼は私にとって『1人目のメンター』でした。

とても穏やかで親切な人で、私が普段使っているのと同じ鉛筆やマーカー、白チャコールを使って、写実的なレンダリング(イメージ図)を描いて見せてくれました。

ものづくりを通して社会的に尊敬され、豊かに暮らす彼の姿から「好きな道を追求して生きていけるんだ」と絶大な刺激を受けたのです。

2人目のメンターから学んだ技術を絵に取り入れている

2人目のメンターから学んだ技術を絵に取り入れている
2人目のメンターから学んだ技法を取り入れている


ロバート:
その後、学校や独学で知識を深めていた私は、10代の終わり頃に『2人目のメンター』となる建築イラストレーターの方と出会いました。

当時はCAD(コンピュータ支援設計)が普及し始めていましたが、彼の手描き作品にはコンピュータにはない「生命感」が溢れていました。

絵を描くことで充実した生活を築いている彼の姿を目にして、「この道を真っ直ぐ歩めば素晴らしい人生が待っている」と確信し、パース(建築透視図)やレンダリングの技術を身に付けたのです。

教わったことを糧にスキルを磨き、21歳の頃にはその技術を使って実際に仕事をするようになっていました。

彼らから学んだのは、光や質感、立体感を形づくる専門的な「デザイン・ドローイング」の手法です。「テクノロジーが変わっても、技術の根本は変わらない」という教えの通り、10代の頃に刺激を受けた本は今でも大切に保管し、参考にし続けています。

18歳の誕生日に手にした画材

インタビュー中のロバート氏

-2人のメンターに加えて、他にも大切な出会いがあったのですよね。その時のエピソードを詳しく聞かせていただけますか。

ロバート: 1998年、私の18歳の誕生日のことです。プレゼントとして、自分自身に投資するためになんとか50ドルを貯め、ナッシュビルのダウンタウンにある専門画材店へ車で向かいました。

長い道のりを経て目的地に着くと、なんと建物は板で塞がれ、ドアには「閉店」の張り紙がありました。しかし、ガソリン代も使い果たし、画材を買うためだけにやってきた私は諦めきれず、ドアをノックしたのです。

中から驚いた様子の女性が出てきて「カリフォルニアへ引っ越すので、店を閉めて荷物をまとめていたの」と言いました。

それでも「今日は私の誕生日なんです。画材を買うために、とても遠くから車でやって来ました。私の夢はアーティストになることで、この画材店からプロ仕様のものを自分へのご褒美に買いたかったのです。」と切実な想いを伝えると、彼女は「お金はいくら持っているの?」と尋ねてきました。

「50ドルです」と答えると、彼女は私を店内に招き入れ、「50ドルをそこに置いて、両腕を広げなさい」と言いました。

18歳の誕生日に贈られた絵筆は、今でも大切に使用している
18歳の誕生日に贈られた絵筆は、今でも大切に使用している

私が緊張しながら両腕を差し出すと、彼女は上質なイラストボード、水彩画用紙、スケッチブック、高価なデザインマーカーセット、デッサン鉛筆、そして最高品質のWinsor&Newtonの絵筆を、次々と積み重ねてくれたのです。

さらに彼女は私の車まで付き添い、黒いレザーのプロ仕様ポートフォリオケースを手渡しながら、「どんなアーティストにもポートフォリオが必要よ」と言ってくれました。予算の50ドルを遥かに超える贈り物と温かい励ましに、涙が溢れて止まりませんでした。

その奇跡のような出来事を胸に、私はアーティストとしての第一歩を踏み出したのです。

グラフィックデザインスキルの構築

インタビュー中のロバート氏

-プロとしてのキャリアは、実際どのようにスタートされたのでしょうか?

ロバート: 経済的支援を得て2年制の専門学校で美術を学んでいましたが、交通事故や経済的負担が重なり、中退を余儀なくされました。しかしそれが結果として、早期のキャリアスタートにつながったのです。

印刷会社でグラフィックデザイナーとして働きながら、フリーランスで住宅設計会社向けに住宅イラストを描いたり、不動産業者向けの間取り図入りパンフレットを手掛けたりしました。

また、20歳から22歳までは医療機器メーカーと仕事をし、特注の浸透膜式水処理システムの製品パンフレットやイラストを担当していました。この経験を通じて、デザインとアートで企業に貢献する確かな手応えを得られたと思います。

Tシャツ会社での仕事

ロバート: 23歳の時、音楽業界に力を入れているTシャツ製造会社にアプローチしました。求人募集は出していなかったのですが、何かチャンスがないかと連絡をしたところ、オーナーが会ってくれることになったのです。

彼は私をオフィスに招き入れると、白紙とペンを渡して「車を1台描いてくれ」と言いました。懸命に描いたスケッチをじっくり眺めた彼は、その場で私を採用してくれました。

手描きとPhotoshop、デザインスキルを組み合わせてTシャツや販促グッズのアートを作成するこの仕事は、素晴らしいチャンスとなりキャリアを一気に押し広げました。

並行してフリーランスで住宅図面やCDパッケージのデザインも手掛け、自分のスキルで望む人生を築き上げていきました。

ロバート氏が手掛けた仕事をまとめたパンフレット

実務経験を重ねながら、 コマーシャルアートとイラストレーションの学位を取得するため、夜間の美術学校にも通い直しました。

多くのデザイナーがソフトウェアやAIを使って制作を行う現代だからこそ、自分の頭と手を駆使し、伝統的な技法で描くスキルを持つアーティストには、絶対的な強みがあります。

それこそが「独創性」であり「人間味」です。その本質的な強みを極めることが、揺るぎないキャリアを築く上で不可欠だと考えたのです。

2007年、日本へ正式移住

-アメリカでのキャリアは順調だったと思いますが、日本へ移住された理由について伺えますか。

ロバート: 20代半ば、昼夜問わず働き詰めだったことで、体を酷使しすぎてしまいました。仕事は順調で学業も両立していましたが、懸命に取り組み続けた結果、体が悲鳴を上げてしまったのです。

食べ物が一切喉を通らなくなって激しく痩せ細り、仕事中に何度も気を失ってしまうほど危険な状態に陥りました。

当時のナッシュビルでの治療法は体への負担が大きすぎたため受け入れられず、懸命に調べる中で、日本の名古屋で最先端の治療が行われていることを知りました。

-まさに転機となる大きな決断だったのですね。

ロバート: 現地の医師と連絡を取り合いながら準備を進め、看板やグッズを製造する会社にグラフィックデザイナーとして就職し、生活の基盤を整えました。そして無事手術が成功し、2007年に日本へ正式移住したのです。

危機を乗り越え、私は文字通り「新しい命」を得て生まれ変わったような気分でした。

インタビュー中のロバート氏


ロバートネルソンムーア 作品紹介

COOL ABSTRACT COOL ABSTRACT
¥147,000
Prestige Collection No. 23 (P120) Prestige Collection No. 23 (P120)
¥550,000
GOLD HARMONY GOLD HARMONY
¥46,200
Blue Abstract Waves Blue Abstract Waves
¥55,000
日本の花:桜 日本の花:桜
¥110,000
Prestige Collection No. 25 (F80) Prestige Collection No. 25 (F80)
¥550,000




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▶︎ インタビュー②を読む

すべての経験に意味がある【ロバートネルソンムーア インタビュー②】抽象表現に辿り着くまで

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