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2020.09.01

アーティストの素顔

【美しさに向き合い、アートと出会う】
アーティストの制作現場 Vol.03

画家北島曜

ペン

画家 北島曜


読者のみなさまに、"アーティスト"という仕事を身近に感じてもらうべく始まった【アーティストの制作現場】シリーズ。第3弾となる今回は画家の北島曜さんにご執筆いただきました!


突然ですが、私は北島さんの作品を見ていると、どこか遠いところへ行った感覚を覚えます。それは自然に対して感じる畏怖の念にも似ています。

何故だろう?と長らく不思議に思っていましたが、その答えがここにありました。


制作過程では何が起きているのか。

はじめのインスピレーションから鑑賞者との出会いまで、たっぷりとお書きいただいていますので、どうぞ最後までお楽しみください!



* 北島曜さんの作品一覧はこちらから

*【アーティストの制作現場】シリーズVol.1、Vol.2はこちらから


美しさに向き合い、アートと出会う

はじめまして、北島曜と申します。


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私は"描く"ということを何よりも大切にしており、特に"なぜ描きたいのか"ということと向き合いながら絵を描いてきました。


描かれたものを通じて、私と作品、そして作品を見ていただく方の中に新しい感性が芽生えることを望み、日々描くことを続けています。



取材を通じて出会う自然の美しさ

私は作品を描くために度々取材に赴きます。


海景や山岳景など悠久の自然を眺めに行くことや、その地域の建築や暮らしに目を向けるなど、自然や人の営みを感じることを目的に取材をしています。


画像 三重県熊野市、鬼ヶ城(海蝕洞)

画像 奈良県上北山村、大台ケ原山(正木ケ原)

あるいは、自宅の庭に芽吹く草花や、散歩道で見つけた生き物、いつも目にするあぜ道で小さな変化を発見することも取材に相当するのかもしれません。


いずれもそれらは私にとって心が動かされる経験であり、そこから芽生えた"想像力"は作品を描くためのきっかけとなります。


このように"描くこと"の過程は、絵筆を取る前から始まっているのです。



取材を基に描くイメージを膨らますため、私の作品の背景には特定の場所やものがあると言えますが、それは写真のような瞬間を切り取ったものではありません。


私は、連続して存在しているものを一つの画面に表すような感覚で描いています。


例えば、昨日見た花と、今見ている花と、明日も見るであろう花が同じ個体であったとして、その様子をよく観察してみるとその花は刻一刻と変化していることを見つけることができます。


昨日はつぼみで、今日は花弁を広げ、明日は花を散らしていたとしても、そこにその花の"生"があることに変わりはありません。


私はそこに時間の経過を切り取ることだけでは表すことのできない美しさを感じます。その美しさは雄大な自然や人が暮らす環境などにも通じているでしょう。


画像 三重県志摩町、御座白浜

画像 和歌山県串本町、樫野埼灯台からの眺望

取材に赴くことも、何かを想像することも、私にとっては作品を描くためのメディウムです。


そして様々なメディウムを手に取り描いた作品が、新たな美しさの出会いとなり、作品を見ていただく方の心を動かすような巡りに逢いになることをこれからも望んでいます。



"消失"を描く

私は、墨やインクを使って絵を描いています。


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それらを使って描いたイメージを水で滲ませたり、水の中にインクを流したりして、また別の新たなイメージを描いていきます。


このような方法を使って描きたいことは"消失"です。


取材や観察を通じて見えたものだけを形や印象として描き表そうとしても、実際に現場で感じたものとかけ離れていくような感覚に苛まれました。


このような近づこうとしても近づくことのできないこの感覚を、私は"消失"と呼んでいます。


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では"消失"を描くとは一体どういうことでしょうか。


現在の作品では《trace of surface》《invisibility》《fragile site》を主なシリーズとして描いています。


画像 《trace of surfave #62》

画像 《invisibility #37》

画像 《fragile site #14》


それぞれが異なる意図でイメージを表しているのですが、それらの共通点として挙げられるのは"描線の消失"と"水の消失"です。


前述の通り、私は取材や観察を通じて得たイメージを形象や色彩として描き表していますが、その代表例が描線です。


また水は無色透明ながらも、流動や蒸発の際に目では捉えることのできない衝動を潜めています。


そして"私"を表した描線を"私では無い"水の衝動が別のイメージへと歪めてしまいます。いずれは水も蒸発してしまうので,そこには両者の痕跡のみが残ることになります。


私自身、このような描線と水が混ざり合う様に心を惹かれ、自身では操作できないイメージに美しさを感じてきました。それこそが"消失"を描くということです。



古来の日本語に自然-じねん-という言葉がありますが、これは簡単に例えると「あるがままの状態」を指します。私はその状態、すなわち、そこに私は居らず自然に身を任せることでそれと一つになれる状態を目指しているのかもしれません。


自らの意識で絵を描いている以上、私の意図したことが完全に画面から消えることは叶いませんが、私が求める美しさがそこにあるのであれば、描きたいことの追求はまだまだ道半ばといったところです。


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新しい感性が湧き上がる瞬間

さて私は、作品とは誰かに見てもらって初めて完成に至るものだと考えています。


作品を見てもらうことで、作品が描かれるだけでは気付くことのできなかった感覚を結びつけることができます。そして見た人の感性と作品が出会い、新しい感性が沸き上がる瞬間が生まれます。


このような作品を介した交流こそが、私だけでは成すことのできない完成へ向けた最後のひと手間なのです。


私自身、誰かの作品を目にしたときに感性の方向が好転することもあれば、私の作品を見てもらった方から刺激を与えてもらうこともあります。


作品を見てもらうことは私にとって絵を描く最もの動機であり、これからもそのために描き続けようと考えています。



しかし、現在の社会状況では、作品の鑑賞について変容を求められるようになりました。作者としても展示会場に居合わせることが難しくなっています。


私が考える、作品を見てもらって完成させるための機会を失ってしまうのかと思いましたが、絵を描く機会を失った訳ではありません。


私が求めていることは、作品を見てもらうことであり、見てもらった人に心を動かしてもらうことです。


今まで交流の方法が容易にならなくなったとしても、描きたいことと作品を見てもらう環境がある限り、私は絵筆を握り続けます。




なぜ描きたいのか、その答え

私が画家を志してそれなりの月日が経ちますが、画家を続けるその苦労故に心が揺れた時期もありました。


しかし、私が常に向き合ってきた「なぜ描きたいのか」という問いには、ある程度答えが出せそうな気がしています。


"私自身が,描かれた作品に出会いたい"


これが現時点での答えです。


私は自分の作品を描きつつも、水の衝動によって描かれたイメージに心を惹かれています。

また様々な試みから関心を深め、新たな作品に出会えることを望んでいます。


芸術家は作品を生み出す者でありながら、その作品の第一鑑賞者でもあるのです。



私が作品を描くまでに感じたこととその表現への追求が、これから作品を見ていただく方にも届くように、これからも描くことを続けて参ります。




ご拝読頂きありがとうございました。


北島曜



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画像 京都府京丹後市、経ヶ岬灯台をのぞむ

ARTIST DATA

北島曜

京都精華大学大学院洋画専攻修了。京都市在住。関西圏を中心に芸術活動を展開している。墨やカラーインクを使った、平面作品の制作と発表を行っている。

作品一覧はこちらから

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