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2020.08.01

アーティストの素顔

植物からのラブレター -自然物としての絵を模索する-
【アーティストの制作現場 Vol.02】

画家 樫内あずみ

ペン

画家 樫内あずみ


先月からスタートしたコラムシリーズ、【アーティストの制作現場】。


第2弾は画家の樫内あずみさんにご登場いただきます!(第1弾はこちらから)


「描く」という画家にとっては当たり前の道を、一歩一歩踏みしめるように進んでいく樫内あずみさん。

どこまでも続いていくような豊かな色彩の裏側には、彼女の植物への愛情が存在していました。


樫内さんの文章に身を委ねながら、どうぞ最後までお楽しみください。


(作品一覧はこちらから)




自己紹介

はじめまして、絵描きの樫内あずみと申します。

今私は「絵描き」を名乗って生きていますが、元々は看護学校を卒業間近で退学し、限界集落で里山での生活を始めたかと思えば、人との出会いを求めて東京に出てきたりと、好き勝手にやってきた人間です。

そんな私の流れ着いた今が、保育園児の頃からの夢だった「絵描き」なのです。


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お話を聞いた後に、その人のために即興で絵を描いている様子




「植物」から感じる生き物としての力強さ

私の描く絵に多く見られるのが「植物」のモチーフです。


「植物」は、誰に指示されるでもなく、文句を言うわけでもなく、その場でやれる事をして生きています。そんな彼らが私は大好きなのです。


道端のコンクリートの僅かな隙間でさえ芽吹こうとするし、空き地に目をやってみれば、なりふり構わずに増殖し一斉に枯れて、ちゃっかり種を残していく植物達の姿があるのです。その生命の身勝手さに、私は強い信頼を寄せています。


とはいえ、描き始めから「植物を描くぞ!!」と思ったことは一度もありません。 一手一手、自分が納得できる色と形を重ねていった結果、植物が連想されるような絵が生まれることが多くあります。


画像

無造作に植えても増えようとする多肉植物たち



私は絵を描く上で、「自然」ってなんだろう?とよく考えます。


シリコンや鉄でできたパソコンやスマートフォンは「人間の思考」があったからこそ生まれました。この「人間の思考」さえも、人間には捉えきれない、大きな「自然の営み」の中の一部だとするならば、私たちの周りにあるモノのすべてが「自然物」のように感じられます。


網入りガラスの窓も、プラスチックの黄緑色のハンガーも、ベランダを通り過ぎた蝶の鱗粉も、私の手を動かす筋肉や血液も、大きな「自然」というシステムの中でたゆたう、浮遊物のように見えてくるのです。


画像 アトリエから見えるベランダ

そして「植物」をじっと見ていると、途方もない歴史の積み重ねの、その発露としての「今」を感じます。私たち人間も植物も、生きて死ぬように設計された同じ生き物です。


「植物」から感じる生き物としての力強さは、人間という動物ひとりひとりの中にも確かに息づいているのだと思うと、目の前に広がるこの世界に対して、畏れと愛情でいっぱいになってしまうのです。




描く行為の面白さ ―意識的に、無意識に―

基本的に、完成形を思い描いてから描く事はありません。今回は赤い絵でも描くのかな?とぼんやり思っていたとしても、真っ青な絵で完成!なんて事はザラにあります。


ではどのように筆を進めるのかというと、「どんな線を描くかは筆を持たないと分からないけど、色はコレだ」「沢山描き込んだけど、ここは一旦上から塗りつぶすぞ」など、その一瞬一瞬で感じた事を筆に乗せていきます。


そのように直感的に幾重にも絵の具を重ね、その色合いや浮き上がる形を見つめていると「次の一手」が分かるようになります。


そして、その直感に対して「自分は本当に納得できているのか?」と問い続けます。


だいぶ効率の悪い描き方をしていると思いますが、でもその一手に「どれだけ正直に向き合えるか?」の真剣勝負をし続け、その痕跡として、絵が完成するのです。


画像

制作途中のシナベニヤのパネル


直感は無意識に近いものですが、反対に、自分に納得しているか問い続ける事は、とても意識的な行動です。意識的に、無意識に潜り込めるかという、最高に刺激的な身投げの連続が描くという行為の面白さだと思います。




正直に描くこと

さてここまでお話ししてきた絵に対しての想いに合わせて、私が大切にしているものがあります。それは「子どもの目をまっすぐに見られるか」という指針です。つまり、正直な気持ちで生きているか?という事です。日常での自分自身の在り方も、絵との向き合い方も、そこに集約されます。


私の向き合う「子ども」という存在は、私の幼心でもあり、未来からの使者でもあり、ここまで読んでくださった、見えない「あなた」でもあります。


私は「指針」を「細くて硬い意志」のようなものだとイメージしています。「指針」を持って生きていれば、それは月日を追うごとに、やがて「佇まい」にあらわれます。その「佇まい」から発生する「気配」は、言葉にしなくても相手に伝わるのではないでしょうか。


そんな佇まいのある絵が描けたら最高ですよね。だから私は諦めずに、筆を持ち続けられるのだと思います。


この「指針」も、これから先変わっていくのかもしれません。

それはそれで自然な事だなと思っています。




おわりに 自然物としての絵を描くために

「自然」と言うと、植物はもちろん、山や森、豊かな水源などをイメージされる事が多いかと思いますが、私は、自然というものは「システム」だと考えています。そして私にとって「植物」とは、その自然というシステムについて考えさせてくれる「象徴」のような存在でもあるのです。

この「自然」というシステムの中で、私はどんな「自然物」が作りたいのだろう?

そんな答えのない問いを抱えながら、これからも自然物としての「絵」と向き合っていこうと思います。



芸術作品は時として、人生への応援歌になりえます。

あなたにとっての宝物のような、応援歌が見つかりますように。

お読みいただき、ありがとうございました。


樫内あずみ




ARTIST DATA

樫内あずみ

正直な心と生きる勇気を、何層にも重ねる色たちにこめて絵を描く。大切なことは、目前にある日々の生活と身体の中に溶けていると信じている。あなたの人生を応援する心で即興で絵を描く「絵詠み」展開中。

作品はこちらから

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